7月11日(木)☂️ 4579歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。パスタ。
買い物はなし。10時出勤、6時30分退勤。

朝は6時に起きた。ご飯を炊き、散歩はあきらめ風呂に入り、ご飯を食べた。その後新聞を取りに行き、ベランダでアイスを食べながらコーヒーを堪能しつつ読んだ。読み終わって8時半すぎ。そこからあわててブログを書き上げて、なんとかかんとか終わったら9時半すぎである。そこから支度をして会社に向かった。こういうパターンになってきた。

10時から仕事。午前中はいろいろたまっていた雑事に追われた。昼になり、いったん帰宅して自宅でご飯を食べる。本来なら週の半ばで一度買い物が必要だが、今週は母親がおかずを持ってきてくれたこともあり、まだ大丈夫である。このまま土曜日まで買い足しなしでいいかなとも思う。午後はまた会社に出て、仕事。支社長交代の挨拶状がようやく届いて、午後は300通せっせと作って夕方の6時になんとかかんとか投函できた。これでようやく一山越えた気がした。

6時半くらいには仕事を終えて、帰宅。帰宅後はさっさとご飯を作って食べた。おかずが乏しい。明日になったらもっと乏しいだろう。しかし買い物も面倒なので、なんとか乗り切ろうと思う。パスタをゆでつつシャワーを浴びるという離れ業を編み出した。これで多少の時間の節約になるだろう。今日はずっと雨だった。霧雨のような雨。梅雨でじめじめというよりも、むしろ雨のほうが涼しいので歓迎である。天然の打ち水のようなものだ。この地球沸騰化時代には、梅雨は大歓迎である。窓を開けながら寝た。夜中ひどい雨が降り、あまりの雨音に目が覚めたけど。では、コラムを。

■思考のハギレ(872) バカで得をすることもある

「バカ」というと、普通は悪口である。言われて嬉しい人はまずいないだろう。たいていの人は「俺はバカじゃない」と反論したくなるはずである。ところが世の中には、「バカ」を礼賛するような風潮もなきにしもあらずである。世の中に出回る「バカ」の99パーセントまでは蔑んだ意味で使われるが、残りの1パーセントくらいは、誉める意味の「バカ」ではなかろうかと思う。

「バカ正直」という言葉がある。正直はいいことだが、それにバカがついている。本来はちょっと嘘をついても良さそうなところでも嘘をつかないから、「バカ正直」と言われる。レジでお釣りを多くもらったら、何も言わずに受け取っておくのが賢いかもしれない。しかし、わざわざ「お釣り多いですよ」と言って返すのは、まさにバカ正直である。しかし、その行為事態は極めて正しくと、「バカ」と言われる筋合いはなさそうである。

バカの兄弟のような存在に「阿呆」がある。これもほとんどが悪口で用いられる言葉である。芥川龍之介の文章にはしばしば「阿呆」が登場する。たとえば、「革命に革命を重ねたとしても、我々人間の生活は『選ばれたる少数』を除き、いつも暗澹としているはずである。『選ばれたる少数』とは、『阿呆と悪党と』の異名にすぎない」とある。回りくどい言い方をしているが、半分以上は「阿呆」の礼賛と言える。

「バカのひとつ覚え」というのもある。バカだからたくさんのことを覚えることができないから、ひとつ覚えになる。しかし、見方を変えれば「一点集中型」である。これに対する概念が「器用貧乏」かもしれない。なんでもこなせる器用な人は、どれも中途半端で、一芸を極めるまでは至らない。そう思うと、バカのひとつ覚えこそが、一芸を極める資格があるのだと思えてくる。バカだからって、嘆くのは早いだろう。