7月10日(水)☁️ 13046歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。パスタ。
買い物はなし。10時出勤、6時30分退勤。

朝は5時に起きた。ご飯を炊き、散歩に出発。足羽山動物園まで歩いて帰宅した。7時過ぎである。そこから炊けていたご飯を食べた。そしてベランダでアイスを食べながらコーヒーを堪能しながら新聞を読んだ。まだ8時すぎである。そこから風呂に入り、上がってからブログを書いた。ちょうど時間は9時半で、アラームが鳴る。そこから支度をして会社に向かった。こういうパターンになってきた。

10時から仕事。支社長は朝から病院に行くとのこと。部長と二人だった。午前中は必死に仕事をした。昼になり、帰宅して自宅でご飯を食べた。また会社に出て、午後の仕事をする。引っ越しの準備もやっているが、引っ越しが終わったらお披露目式をやるということが急遽決まって、そちらの準備もすることになった。またまた忙しくなる。

お披露目式には社長も来るということで、案内状をせっせと作った。夕方はそれに時間をとられた。だいたい出来上がったのが6時前。もう明日にしよう。あとは経理関係の伝票のチェックをやって、ようやく一日の仕事が終わった。

帰宅後はさっさとご飯を作って食べ、シャワーを浴びた。動画もちらほら眺めては、いつのまにか寝落ちしていたりした。9時になり、本格的に寝た。ではコラムを。

■思考のハギレ(871) 「負け」に慣れることも大切である

阿佐田哲也のペンネームでも有名な、作家の色川武大さんのエッセイ「うらおもて人生録」は、劣等生に向けた書であると言われる。しかし、時には優等生に向けた指南も書かれている。それが「マラソンのように・・」の章である。ここで氏は、勝つことばかりに慣れてしまった優等生たちも、いつまでも勝ちっぱなしというわけにはいかず、ある日敗けを喫してしまった際に、大怪我する危険性を説いている。

劣等生は、しょっちゅう負けているから、負けることに慣れている。負けを転ぶことだとすると、受け身の仕方を何度も学んでいることになる。人間で言うと、赤ちゃんのころはしょっちゅう転んでいる。そこで受け身をだんだん学んでいく。赤ちゃんは背が低いので、転んでもたいしたことはない。そういうときに受け身の技術をしっかり身に付けておくことは大事なことだ。

しかし、優等生は負けることに慣れていない。小、中学校でもエリート、高校でもエリート、大学でもエリート。そんな「勝ちっぱなし」で生きてきたエリートが大人になって社会に出て、始めて挫折を味わったとしたらどうだろう。大人になるまで一度も転んだことのない人が、大人くらいの背丈になって始めてすっ転ぶようなものである。危ないったらありゃしないだろう。

人生は、マラソンのようなものである。短距離で決着がつくものでなく、長い長い持久戦である。1回や2回転ぶくらいのロスは、いくらでも取り戻せる。何度も転んで、受け身の技術を早く獲得することができれは、それはそれで人生において有益だ。むしろ、長期間転ばないでいることのほうが、いざ転んだときに、致命的な怪我を負う危険性が大である。