7月9日(月)☁️☂️ 13898歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。パスタ。
買い物はなし。10時出勤、6時30分退勤。

朝は5時ころに起きた。ご飯を炊き、散歩に出発。足羽山動物園まで歩いてきた。帰宅して、まだ7時前である。早朝の散歩のほうが、夏場は気持ちがいい。帰宅してご飯を食べた。そしてベランダでアイスを食べながらコーヒー片手に、新聞を読んだ。まだ8時である。そこから風呂に入り、上がってからブログを書いた。ちょうど時間は9時半で、アラームが鳴る。そこから支度をして会社に向かった。こういうパターンもいいかもしれない。

10時から仕事。11時から役員会があり、議事録を打った。今日は短めだったので、午前中には終わった。午後は来客があるので、12時にはいったん会社を出て帰宅。自宅でご飯を食べた。また会社に出て、午後の仕事。1時半に来客があり、話を聞いた。2時からは移転会議。こちらも議事録を打った。火曜日は大変である。さらに読み合わせの仕事もたくさんあって、ようやく終わったのが 6時前である。そこからまた経理関係のチェックをやって、ようやく仕事が終わる。かと思えば、読み合わせの原稿にミスがあり、その対応に追われた。6時半には終わって、帰宅。今日も一日疲れた。

帰宅後はさっさとご飯を作って食べ、シャワーを浴びた。動画もちらほら眺めては、いつのまにか寝落ちしていたりした。9時になり、本格的に寝た。ではコラムを。

■思考のハギレ(870) 人間には、2種類の才能がある

「才能’」と聞くと、何か魅惑的な響きがある。「あの人は才能がある」と聞けば、羨ましい気持ちになるし、「自分には才能がない」と気づかされると、底知れないほど寂しい気持ちになる。それくらい私たちは、「才能」が好きで「才能」に飢えている。「才能」という言葉には敏感に反応してしまう。しかし、才能にも2種類あることはあまり知られていない。

「天性」と言い換えてもいいかもしれない。「天性」に2種類あると聞くと、勘のいい人は気づくかもしれない。「習慣は第2の天性なり」という言葉がある。第1の天性は、読んで字のごとく、天から与えられた性質のことで、生まれつきの能力、いわゆる才能のことである。しかし、第2の天性と言われるものもある。それが「習慣」である。習慣と言えば、天与のものではない。後から獲得したものである。

後から獲得したものでも、才能となりうるということは、あまり知られていない。しかし、そう簡単に獲得できるものではない。「習慣」の域まで達しないと、才能にはならない。天から与えられたものではないけれど、後から自分で地道に獲得した習慣は、第2の天性となりうると教えられている。第1の天性(いわゆる才能)が乏しかったなら、第2の天性(つまり習慣)で挽回すればいいのである。

イギリスの銀行家。ジョン・ラボックという人は「長い目で見れば、努力しない天才よりも、才能のない努力家のほうが、より多くのことをやってのける」と言っている。つまりは、生まれ持った才能の有り無しなんて重要ではなく、何かひとつにコツコツ努力を怠らなかったか否かが重要だということだ。ラボックも第2の天性を磨くことの大切さを知っていたようだ。そんなラボックにはこんな言葉もある。「他人が自分より優れていたとしても恥ではない。しかし去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥である」。肝に命じたい言葉である。