6月16日(日)☀️ 6068歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。ご飯。
買い物はなし。今週は木曜に西武で2130円、土曜にスギ薬局で4004円、西武で3237円。合計9371円。土曜に本を買ったけどクオカードで0円。

朝は3時までぐっすり寝た。起きてご飯を炊き、風呂に入り、ご飯を食べたらもう5時すぎ、ブログはサボった。外は21度と今なら涼しい。一念発起して足羽川を走ることにした。小生は足羽川ランニングクラブと、足羽山散歩クラブに属している。いや、正式にはそんなクラブはないが、なんとなく自分でそう思っているだけである。今日はランニングクラブの例会の日である。早朝、まだ5時半前という早い時間にスタートした。

やっぱりこんな6月になって走ったことはあまりない。小生は暑さにめっぽう弱いので、なかなかにハードだった。22度くらいで、時おり涼しい風も吹いてくる。でも、走るにはしんどさが伴う。いつもよりはペースが遅めだった。それと1時間ほど前に食べた朝御飯もお腹に残っている感じで、万全ではなかった。かなりゆるいランニングになったとは思うが、なんとか5キロ走りきった。帰宅後、シャワーを浴びて、ベランダで新聞読みをやった。ベランダは涼しい。今日は、走らなければ涼しい朝だった。

新聞も読み終わって、あとはクイズの問題集も読んでいた。読んでいる間、ルンバをかけておいた。洗濯機も回した。洗濯物は終わってベランダに干した。それらひととおりやり終わって、携帯のアラームが鳴った。9時半である。ひととおりやって、まだ9時半である。超早起きをすると、朝が長い。もう午前中は終わったような感覚になっていたが。まだまだある。料理をして、10時すぎには昼御飯を食べた。11時から午後である。またベランダで本を読んでいた。そして、2日もブログをサボっていたのを思いだし、慌てて1時くらいからブログ執筆をした。エアコンの効いた部屋でブログを書いた。夏場はこれがいいだろう。朝はベランダで、昼は部屋に引っ込んでエアコンの効いた部屋にいるのがいい。ブログを仕上げて、4時には夕飯を食べて、涼しくなった5時にもう一度ベランダに出て本を読んだ。暗くなって読みづらくなったら部屋に引っ込み、寝る支度をして、さっさと寝た。ではコラムを。

■思考のハギレ(847) ただの「ウンコ製造機」で終わらない

YouTubeを見ていたら、少し辛辣な物言いをする動画があって、そこで「何もしない人間はただのウンコ製造機だ」というような発言があった。たしかに人間は、ウンコ製造機に違いない。食料を食べて、それを消化して、ウンコに変える。人間の営みなんて、おおむねそんなところである。そんな人生の中で、何をやるかが問われている。何もやらなかったとしたら、ただ単に食料を消費しただけである。そういうのを昔は「穀潰し」と言った。なるほど、「穀(=食料)」を潰しているからである。

室町時代の僧侶・一休宗純は、「人生は食うて寝て起きて糞垂れて、子は親となる子は親となる」と詠んでいる。一休宗純もなかなかの皮肉屋であるから、そういうことを言った。でもこれを否定できる者はいないだろう。すべての人間のやっていることだからである。食料を糞に変えてまで生きているからには、それなりに何かマシなことをしなければならない。

小さい時、遠足に行くと「来たときよりも美しくしましょう」と言われた。次にその場所を利用した人が失望しないように自分が来たときよりも美しくして行けということである。ごみを出さない、汚さない、出した物は片付ける、ごみが落ちていたら拾う、そんなようなことだ。小生は、自分が生きているこの世界でも、同じことが言えるのではないかと思っている。自分が生きた時代よりも、後の世を生きる人たちに、より美しく、楽しく、快適に過ごせるようにしていけばいいのだと思う。

飛びっきり便利なものを発明できる者はすればいいが、そんなことができなくても、後輩たちに少しでも美しく、少しでも楽しい人生を送ってもらえるように地ならしをしていくことができたら、少なくとも「穀潰し」とは言われないのだろうと思う。自分の子や孫たちが、自分達が生きた時代よりも少しでもマシになるように努力すれば、ただのウンコ製造機では終わらないはずである。