6月14日(金)☀️ 13072歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。冷やし中華。
買い物はなし。10時出勤、6時30分退勤。

朝は1時に起きた。風呂に入り、ご飯を炊き、ご飯を食べ、ブログを書いた。もう一度寝て、7時前に起きる。そこから散歩に出掛けた。いつも通り。足羽山動物園まで行って折り返した。帰宅後はベランダで新聞を読みながら、コーヒーとアイスを楽しんだ。9時半になったら支度を始めて、10時から仕事開始。

朝からちゃかちゃか仕事をやった。週末なので、できるだけ処理してしまいたい。やり残していた仕事を片っ端からやっつけていった。でも、完全に仕事がなくなることなどない。次から次へと出てくる。昼になり、いったん食事のために自宅に戻った。ご飯を食べて、ついでに洗濯もして、干してから会社に向かった。ちょっと遅くなってしまった。

午後も仕事。ちゃきちゃきとやった。くたくたになりながら夕方になり、区切りのいいところでやめて来週に回した。夕方は6時30分ころに会社を出て帰宅。帰宅後はご飯を作って食べ、ちょっとだけ料理も作った。食べたらすぐに布団に入って動画をいくつか見るとも見ないともしているうちにうとうとと寝てしまった。ではコラムを。

■思考のハギレ(845) 「美しい人生だった」と言われるために

先日新聞を見ていたら、落語家の林家木久扇さんのインタビュー記事があった。見出しに「人生は 午後からが 美しい」とあったので、どういうことだろうと思って読んでみた。木久扇さんは一時期、サインにその言葉をよく書いていたそうである。木久扇さんいわく、「午後からというのは、人生で50歳以降。美しいというのは、人生を自分でデザインできるから」とのことだそうだ。

小生も、奇しくも50歳になったばかりである。なるほど、自分の人生を自分でデザインできる年齢になったワケである。もうあまり「他人」に干渉されなくていい年頃になったということであろう。小生の場合はずっと独身であったので、もっとずっと前から自分の人生を自分でデザインできたのかもしれない。しかし改めて50歳になってみて、あとは「美しい」と思えるように描いていきたいと思った。

「美しい」と思われる人生にするには、気を付けることは2つあると思う。1つは、統一感を持たせることだ。何でもかんでも取り入れるのはもう終わりにして、自分で取捨選択をしなければならないだろう。自分らしいものは取り入れるが、自分らしくないものは、いくら流行っていても取り入れない。そういうことができるのが50歳という年齢なのだろう。自分に似つかわしいものだけを取り入れ、統一性を大事にしよう。

もう1つ大事なのは、社会のためになることをやることである。自分中心だけでは、周りは評価してくれないだろう。自分の好きなことはもちろんやるのだが、社会的にも意味のあることをやりたい。小生は、お金を頑張って貯めているけれど、最後は寄付をしてみんなに喜ばれるようなことをしたいものである。他人の目からも「美しい人生だった」と言われるようになりたいものだ。