6月12日(水)☀️ 11466歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯は外食。安いステーキの店。2人分出して1900円。スタバで881円。
晩飯は自炊。冷やし中華。
買い物は手土産など。1300円と1080円と993円。足して3373円。日当が3500円もらえるので、ほぼチャラ。9時30分出勤、8時30分退勤というか、帰福。

朝は1時に起きた。風呂に入り、ご飯を炊き、ご飯を食べ、ブログを書いた。もう一度寝て、7時前に起きる。そこから散歩に出掛けた。いつも通り。足羽山動物園まで行って折り返した。帰宅後はベランダで新聞を読みながら、コーヒーとアイスを楽しんだ。今日は早めの出勤。9時に家を出て、9時30分に会社に着いた。

名古屋に出張である。同僚の車で向かった。11時30分に名古屋に着いて、昼飯に名古屋飯と思ってしら河に向かったが、11組待ちということで、1時30分の約束に間に合いそうもなく諦めた。近場のステーキの店(ほとんどセルフで安い)に行き、2人で食べた。食べ終わったらまだ時間があったのでスタバでコーヒーを飲み時間調整。約束の時間に1つの仕事をこなした。2時30分まで最初の目的地に滞在して、3時の次の約束に向かう。3時から会議開始。これが4時までパート1が続き、4時からパート2が始まった。5時半近くに終了。そこからしばらく見学などして、6時前に車に乗り込んで福井に向かった。

途中養老SAに寄り、お土産などを買って、また出発。名古屋に行ったときはほぼ、お土産は養老で買う。ここは岐阜県なんだけど。福井に着いたのは8時半すぎだった。

帰宅後はご飯を急いで作って食べ、動画を1、2本見てから寝た。1日地元でまったく仕事をしなかったので、次の日は大変だろう。そんなことを思いながら寝た。ではコラムを。

■思考のハギレ(843) 日記は毎日記すことに意味がある

毎日日記をつけるようになってから5年ほどが経過している。日記をつけるようになった契機は今でも忘れない。小生がお世話になった当時の支社長が退職するとき、「人生90年とすれば、45歳はちょうど半分になる。45歳になったとき、自分の後半生の記録を残そうと思った」と語ったことである。そのとき奇しくも小生も45歳になったばかりだった。これが契機となり、ここのブログが始まった。

小生ももう50歳になった。ということは、5年間日記をつけてきたということである。たしかに毎日というのはしんどい面もあるが、文章にすることで自分の考えていることが明確になるという利点もある。その他、細々とした利点もあるように思う。途中からは、家計簿も併せてつけることにした。その日使ったお金を記録することにより、お金をより慎重に使うようになった。レシートの残らない自販機などでは、覚えておくのが面倒なので、迂闊に買わなくなった。

利点はまだある。一日のことを振り返るので、反省することが多くなった。「あの時ああすればよかった」とか「ああ言えばよかった」と、反省点が見えてくるので、次からはより慎重に行動するようになった気がする。それから、備忘録的な意味もある。忘れやすい性格なので、この日は何をしたか、あとで振り返れるのはいいことだ。勤務記録の代わりにもなる。

5年も書いていると、量も膨大になるが、これをすべて自分で振り返ることはまずない。誰にも読まれない文章を残している可能性はある。しかしそれでも、やる意味はあるだろう。読む、読まないはあまり関係がない。自分の頭で考え、誰かに伝わる内容に仕立て上げたという事実が大事なのだ。もちろんあとで読み返して役に立ったというのも日記の1つの効用だろうが、たとえ読まれなくても、効用はあると思っている。