5月26日(日)☀️ 10698歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。ご飯。
買い物はなし。昨日書きそびれたが、西武に買い物に行ったとき、道端でお菓子を売っている外国人に捕まって、1つ買ってしまった。「すみません」と、道を教えてほしそうに声を掛けてきたので話を聞くと、1枚の紙を渡されて、「私は学生で生活が苦しいのでお菓子を買ってください」というようなことが書いてあった。たどたどしい日本語でしゃべってきたので、仕方ないと思ってチョコを1袋買った。それが500円。7つ入りで500円。ちょっと高いとは思うが、味は美味しかった。本当の苦学生かどうかはわからない。ただの詐欺かもしれないが、詐欺なら道端に立って声を掛けるような大変なことはしないだろう。おそらく本当の苦学生なんだと思いながら、お金を払った。それもいれて、今週の買い物は水曜に西武で4291円n。木曜に西武で3000円、土曜に西武で2161円と道端で500円、同日スギ薬局で3249円となり、合計13201円となった。米を買った分、ちょっと高め。

朝は2時に起きた。風呂に入り、ご飯を炊き、ご飯を食べ、ブログはサボった。もう一度寝たか寝ないかするうちに6時のアラームが鳴る。起きて、外を走ることにした。今日は大野で名水マラソンがある日である。会社の行事なので、行っている人もいる。6時に花火が上がった。大会やるぞ、という合図だろう。小生も走る気になってきたので、足羽川沿いを走った。5月だから暑さに向かう時期ではあるが、今日は比較的涼しい風が吹いていた。気温も走り出したころは16度とまずます、快調に走っていったので、5キロでやめるのがもったいなくなった。同僚は今日名水マラソンでハーフを走るという。せめて小生も10キロ走ろうと思い、いつもよりむしろスピードを落とした。

4キロ地点で、いつもならスパートを掛けるのだが、今日はそんなことはできない。走りながら目標を切り上げて、今日は10キロ走ってみようと思い立ったのである。10キロというと、走り方が変わる。長距離を走るコツは、「このペースなら無限に走っていられるな」というところを探すことである。最初の5キロは呼吸を整えたり、その日のコンディションだったり、自分の体調だったりがまだつかめない。5キロすぎたあたりから、それらがつかめるようになる。そしてその日の体調やコンディションすべてを勘案して、今日はこれくらいのペースなら無限に走っていられる、という落ち着きどころを見つけることが重要である。そして、そこに落ち着いてしまえば、あとはひたすら郷里を稼ぐ。余計なことはしないで、無限に走っていられるペースで、オートモードのように走るのみである。「まだ○○キロもあるなぁ」なんて思ったらつらくなるだけなので、オートモードで何も考えずに無限に走るつもりで走る。この無限モードでいかに距離を稼ぐかがポイントと思う。気がつくと、残り2キロになっていた。そして、これならいくぶん余裕があるので、残り1キロでスパートをかけようかとも思った。久しぶりに10キロ走ったが、体調的には問題なかったし、スパートもできた。走り終わって時計を見ると、6時58分だった。帰宅途中にまた花火が上がった。7時なんだろう。10キロは、おそらく57分くらいで走ったと思われる。

あとはひたすらベランダで新聞を読んだり、本を読んだりした。クイズの問題集も読んだ。土日の時間の使い方としてはこれが最高だと思う。余計なお金も使わない。昼になり、ご飯を食べて、また読書。しかし、体調がちょっとだるさを覚える。10キロ走ったからしょうがないかもしれない。そこで4時くらいから早めのご飯を食べて、ブログを1本書いて、さっさと寝てしまった。また起きて8時すぎ。そこからもう1本のブログを書いて、また寝た。やっぱり10キロ走るとからだ全体に負担がくる。ではコラムを。

■思考のハギレ(826) ほどよく逆境にさらされることが必要

人間は、逆境に奮起するというのは、案外難しくないのではないかと思う。家貧しくして孝子顕るとも言うが、貧しい家に生まれた子が、生活を楽にしたいとものすごく努力して、成功するパターンは少なくない。これと逆に、順境に感謝するというのは、かなり難しいのではないかと思う。なぜなら、順境を順境だと気づくことがそもそも難しいからである。

何もかも恵まれている人が、自分は恵まれていると思うことは、案外難しい。なぜなら、人間は生来うぬぼれやすい生き物だからである。恵まれた環境にあるのは、自分の努力の賜物だと思ってしまう。実際はそうではないのに。自分にやってくるさまざまな幸運は、他人のお陰であるとは思わないで、自分の努力の成果だと思ってしまう。実に安直な生き物である。

小生はランニングをすることがある。河川敷のコースを往復することが多いのだが、ある時ほどよい追い風が吹いていて、自然と体を前へ前へ運んでくれるような状態の時があった。しかし、追い風というのは案外気づかないもので、「今日は体が軽く感じられるな」とは思うけれど、風のお陰とは毛頭思えない。「ここのところ頻繁にトレーニングしている成果だな」なんて思っていた。

ところが折り返し地点まで行って走る向きが変わると、とたんに風が強くなる。猛烈な逆風である。この逆風に遭ってようやく気づくのである。「なんだ、今まで猛烈な追い風が吹いていたのか」と。何がトレーニングの成果だ、と思う。なんのことはない、追い風に体を運ばれていただけなのに、それに全然気づかないものなのである。かくも人間は、自分の都合のいいようにしか解釈できない生き物である。逆境にさらされないと、自分の非力なことが気づかない。身の程を知らないと、自分の人生に本当に必要なものは見えてこない。ほどよく逆境のさらされることは、人生において必要なことである。