5月24日(金)⛅ 14563歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯は外食。病院で母と食べた。3000円。
晩飯は自炊。ご飯。
買い物はなし。病院に行ったので、タクシー代1100円、診察代2080円。出勤は12時40分、退勤は7時15分すぎ。

朝は0時に起きた。風呂に入り、ご飯を炊き、ご飯を食べ、ブログを書いた。5時前に一度寝て、6時にまた起きる。そのまま散歩に出た。足羽山動物園まで歩いて折り返す。下山後、信用金庫でお金をおろそうとしたが、まだ8時前で空いていない。5分ほど歩いて8時になり、ATMで5万円おろしてから帰宅。帰宅後はベランダで新聞を読んだ。コーヒーとアイスを片手に。いつもより40分くらい早い。今日は医者にいく日なので、9時半には家を出た。いったん会社に行って忘れ物を取りに行き、そこから駅に向かい、駅からタクシーで病院に向かった。ちょうど10時に着いた。診察が終わったのは11時40分。いつも通りで時間がかかる。今日も眼圧は低くて良かった。迎えに来てくれた母と一緒にご飯を食べた。その後会社に向かう。

12時半くらいになって会社に着いた。今日は監査がある日。午前中から始まっている。まず、自分の仕事をやっつけてしまってから監査に向かった。先に同僚がいろいろと絞られている様子。特に大きな問題はなかったようだ。昨日慌てて伝票を見直したのが効を奏した形になった。ところが2社あるうちの1社は、会計処理が悪いということでやり直しになった。1年分の売り上げを一括で計上しているのを、月々に直せというワケである。年度を跨ぐので、売り上げも経費も納税額も全部変わってくる。夕方5時半すぎになって、その伝票の手直しを始めた。終わったのは7時すぎ。えらい目にあった。でも、まあ、監査ってこんなものだ。

帰宅したら7時半になっていた。昼のご飯が残っているのでそれを食べて、あとは動画をいくつか見て疲れたので寝た。今日はここまで。ではコラムを。

■思考のハギレ(824) 不自由も、慣れてしまえば怖くない

小生は生まれつき目が悪い。いろんなところで書いているが、生まれつき緑内障を患っていて、右目の視力はほぼゼロである。左目の視力もそんなに良くはなく、自動車の運転免許は取得できない。不便と言えば不便である。しかし、生まれた時からこうなので、それこそ小さいときはこれが当たり前だと思っていた。だから、受け入れがたい事実というワケでもない。

少し物心がついてから、こんなに視力が悪いのは自分だけだとわかってきた。知ってしまえば寂しい気持ちも起こってくる。不便だなとも思い始める。しかし、そう思ったところで、現実は変わらない。緑内障という病気で失った視力は、もう元には戻らないのである。これ以上悪くならないようにするのが、緑内障治療のすべてである。だから、残された視力を大切にしながら、生きていくしかない。

「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」。これはパラリンピックの父と呼ばれるイギリスの医師、ルードウィヒ・グットマンの言葉と言われる。小生もこの言葉どおり、残された視力を最大限に活用する方法を考えることにしたい。そのほうがよほど有益だろうと考える。現在の左目の視力では、日常生活をするには大きな問題はない。

車の運転や、遠いところを見るような仕事はできない。しかし近くは見ることができる。パソコン作業や、読書はできる。そして、耳で聞くこと、発話すること、考えることはできる。徳川家康は、「不自由を常と思えば不足なし」と言ったが、その通りで、こんなもんだと思えば、なんの不足もなくなるものである。残されたものだけで、十分生活していけるし、逆にスタンダードな生活から離れる分、独創性も生まれる。当然あるべきものがないというのは、それはそれで強烈な個性になり得るのである。