5月16日(木)☀️☁️☂️ 13064歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。焼きそば。
買い物はなし。10時出勤、7時退勤。

朝は0時に起きた。ご飯を炊き、風呂に入り、ご飯を食べ、ブログを書いた。4時半くらいに一旦寝る。7時にまた起きた。外は晴れているので、散歩に出た。足羽山動物園まで歩いて、折り返す。帰宅後はベランダで新聞を読みながら、コーヒーとアイス。いつもの朝の時間である。小1時間ほど読んで、終了。部屋に戻るといい時間である。支度して会社へ。

10時から仕事。今日は決算のチェックをあらかた終わらせてしまいたい。来週は監査がある。明日にはデータを全部送ってしまいたいと考えている。午前中から決算伝票のチェックをやった。会社が2つあるので、なんとか1つは終わった感じがするが、もうひとつが残っている。

昼になり、一旦帰宅して、ご飯を食べる。食べたらまたとんぼ帰りで会社へ。また決算伝票のチェックの続きをやった。決算というのは、いつもなれない。1年に1回のことなので、やり方を毎回忘れてしまう。ようやくやり方を思い出したところで終了するので、また1年やらないうちに忘れる。

今日も延長戦で、7時まで仕事をしたが終わらなかった。明日へと持ち越しである。まっすぐ家に帰り、ご飯を作って食べた。食べたら、気を失ったかのように布団に入って、速攻で寝てしまった。たぶん今日も8時前に寝ていた。では、コラムを。

■思考のハギレ(816) 凡人でも、長い目で見ればいい

尖った語釈をすることで有名な新明解国語辞典によれば、凡人とは、「自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人」と説明されている。こう聞くと、「余計なお世話だ」と言いたくなってしまう。たしかに、凡人はセンセーショナルな才能は持ち合わせていない。だけど、凡人でも何かひとつ、こつこつと積み上げていけば、それなりの結果は残せると信じたい。

「大器晩成」という言葉がある。偉大なことをやってのける人間というのは、実力を養うのに時間がかかるものだから、ちょっと見ると他に対する影響力が皆無のように思える。しかしそういう者こそが、晩年になって本当の「大器」ぶりを発揮したりするので、人間というのはわからないものである。逆に、若いうちに影響力が多大であっても、すぐに失速して忘れ去られる人もある。

イギリスの銀行家、ジョン・ラボックという人は、「長い目で見れば、努力しない天才よりも、平凡な努力家のほうが、多くのことをやってのける」と言っている。我々凡人にとって、心強い言葉だ。才能は平凡でもいいので、こつこつと努力すればいい。長い目で見てもらいたい。アメリカの有名な投資家、ウォーレン・バフェットも、「並外れた結果を残すのに、並外れたことをする必要はない」と言っている。平凡なことでも、長期間実践すれば、非凡な結果を残すことは十分可能である。

天才というとどうしても、「非凡な身体能力」とか、「類いまれな発想力」とか、特殊能力が必要だと考えてしまう。そして、そんな力を持たない凡人には、到底対抗できないと思ってしまう。でも、そんなことはないのである。凡人には凡人のやり方で、長い目で見ることが大事だ。凡人も非凡に勝ることがきっとある。新明解の「凡人」の欄を見ると、ついムキになって食ってかかってしまうが、そういう気持ちが起きないのだとしたら、それこそ凡人かもしれない。