5月15日(水)☀️ 14766歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。焼きそば。
買い物は西武で。金額は後日記す。10時出勤、6時退勤。

朝は0時に起きた。ご飯を炊き、風呂に入り、ご飯を食べ、ブログを書いた。4時半くらいに一旦寝る。7時にまた起きた。外は晴れている。しっかり散歩に出た。足羽山動物園まで歩いて、帰宅。アセビの花が開き始めてきていた。帰宅後はベランダで新聞を読みながら、コーヒーとアイス。いつもの朝の過ごし方である。1時間ほど読んで、終了。部屋に戻るといい時間である。支度して会社へ。

10時から仕事。今日は役員会とか会議とか来客がない穏やかな一日になりそう。やり残していた仕事をやった。昼になり一旦自宅に戻る。途中、西武で買い物もした。豆腐がなくなったので、買ってきた。豆腐がないのは、1品確実に減るので困る。豆腐は手間はいらずに、しかもおいしいいいおかずである。

午後になり、また会社へ。午前の続きをやった。決算を早くまとめないといけない。今日明日が山である。一生懸命チェックしたけど、夕方には眠くなってきた。眠いというより、目がショボショボしてきたので、仕事にならない。明日頑張ることにして、今日は6時に強制終了した。で、帰宅してご飯を食べ、本当にさっさと寝た。たぶん8時前に寝ていた。では、もう書くこともないのでコラムを。

■思考のハギレ(815) まじめの持つ価値を低下させない

「あの人はまじめな性格だ」というと、最近では必ずしも好意的に受け取られた言葉とはならない。むしろ、「杓子定規で頭が固い人」と、マイナスなイメージが付きまとってしまう。これに「クソ」が付いて「クソまじめ」となると、明らかに悪口になる。「まじめ」を辞書で引いても、「1、うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。2、誠実で、真心がこもっていること」とあり、悪い意味は一つもない。

どうしてこうも、「まじめ」の持つ価値が落ちてしまったのだろうか。「まじめ」=「ユーモアを解さない」となって、冗談の通じない堅物、という意味に使われてしまっているようである。しかし、本来の意味からすれば、まじめに「堅物」という意味はない。それどころか、人間として成功できるかどうかは、やはり「まじめかどうか」か鍵を握るとしか思えない。

アメリカの鉄鋼王、アンドリュー・カーネギーは、「成功には何のトリックもない。私はただいかなる時にも、私に与えられたその仕事に全力を尽くしてきただけだ。普通の人よりほんのちょっとだけ、より良心的に努力してきただけだ」と言っている。どんな時でも、より良心的に、つまり、より誠実に努力してきたと言っている。仕事に対していいかげんにならずに、まじめに取り組んできたということだ。

作家の色川武大さんは、「人間として成長するためには、生地がずるくないことが大事」と書いていた。生地がずるいとは、ラクして儲けようとか、途中で手を抜いて帳尻だけ合わせようとすること。つまり、何事も愚直であることの大事さを説いている。ラクして結果を得るようになったら、それが定位置になって、それより上のランクには上がれなくなる。人間としての格を上げるためにも、まじめさは必須だと言える。