5月6日(月・振休)☁️🍃 19369歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。ご飯。
買い物は靴を買った。17600円。今週というか、先週の買い物を記しておく。水曜に西武で3722円、土曜に西武で4393円、スギ薬局で4162円。食料の合計が12277円。この連休は、食料品以外では靴を買ったくらいしかトピックがない。散髪もいけなかったしな。

朝は2時に起きた。ご飯を食べ、ブログを書き、うだうだしていたら5時になった。寝たかったが、寝れない。外も明るくなったので、朝がたの散歩を楽しむことにした。こういう生活をしていると、お金を使わない。散歩は本当にお金がかからない趣味である。強いて言えば、靴のすり減りが早いくらいか。帰宅してまだ7時である。新聞をベランダで読んだ。風が強い。今日はひどく風の強い日だ。新聞を読むのに風は大敵である。いつもの半分しか読まないうちに、ギブアップした。コーヒーも、いつもベランダで飲むときは万が一下に落ちてもいいようにプラスティックのカップを使っているが、おかげで風で飛んで行きそうだったので、早めに切り上げた。

部屋で続きを読んで、一日の計画を練る。まず、寝不足なので、どこかで昼寝が必要である。そして、靴を買いに行きたい。洋服の青山まで歩いて行きたい。今はもう8時なので、青山まで歩くと片道1時間ほどかかる。腹が減ってしまうので、朝イチに買いに行くのはやめた。昼飯をちょっと早めに食べてから行こう。ということで、今日のやるべきことは、伝票のチェックの続きである。これを昼までにあらかたやっつけてしまおう。

部屋でパソコンを開きながら、伝票のチェックをちまちまとやった。10時くらいになり、ご飯を炊く。炊いている間もちょっと息抜きなどをしながら、伝票のチェックをやった。結構間違いを発見した。

11時にチェックも終わった。ちょうどご飯も炊けたので、食べる。食べたら、早速出発である。外は風が強くで、今にも雨が降りそうだけど、降らない。そんな天気。いちおう折り畳みの傘を持っている。

1時間ほど歩いて青山に着いた。靴を買って、ついでにベルトも買って、レジに行った。そこで案の定、カードを作らされた。ずいぶん前に作ったカードは失効していて、また作り直した。クレジットカードはどこに行っても作らされる。数千円のクーポンがもらえて、その時はいいのだが、いずれ年会費が発生するらしい。まあ、断るのも一苦労なので、とりあえず作った。1年後どうするかは要検討であるけど、忘れてしまっているんだよなぁ。

1時半にレジがようやく終わった。カードなど作ったので、30分ほどかかった。暇だったのでよかったが、忙しかったらキレているところである。そのまま歩いてまた帰った。帰宅して3時前。眠さのピークがやってきた。動画を見ていたら、うつらうつらしてしまう。こんな状態でとても本なんて読めないし、一旦練ることにした。でもすぐに寝れるわけでもない。お腹を膨らませようと考えた。そこで驚きの行動に出る。まだ3時すぎだというのに、夕飯を食べたのである。ご飯は昼に炊いたのがある。おかずもある。じゃあ食べちゃえ、というワケである。食べて、布団に入った。そしたら、すぐに寝た。起きて、まだ明るい。時計を見ると7時前である。4時間近く寝た。もう外も暗くなってきた。

そこから風呂に入り、あとは動画など見て時間を潰した。こんな連休もあってもいいのかもしれない。なにもしなかった。強いて言えば、靴を買って、あとはクイズの本を1冊読んだかな。あとは、伝票のチェックを終わらせたこと。これは毎年やっている。あとはいつもの週末と同じである。節約生活を、ブログを毎日書く生活をやっていたら、たいしたことができない。どこかに行くこともできない。まあ、こんな連休に外に出てもいいことはないとわかっているが。今ようやく資産が5000万円まで貯まった。これをあと2年ほどで6000万円にしたら、ちょっと節約の手を緩めるつもりである。自炊も、週に1回はおやすみしていいことにしようと考えている。とにかく、あと1000万円貯めるまでは、今の生活を続けよう。ではコラムを。

■思考のハギレ(806) 何事も、色づけされている事象はない

人生は、山あり谷ありである。いいこともあれば、悪いこともやってくる。「人生楽ありゃ苦もあるさ」。そんな歌があったが、たしかにその通りである。「晴れの日もあれば、嵐の日もある」とも言う。また、「禍福は糾える縄のごとし」とも言う。たしかにそれらはその通りであるとも言えるが、微妙にちょっと間違っているとも言える。

どこがどう間違っているのか。これはニュアンスの問題だから伝えるのは難しいが、一番分かりやすいのは「いいこともあれば、悪いこともある」になるだろうか。人生に様々やってくることは、ただの出来事であって、それが「いいこと」だとか「悪いこと」だとか決まっているわけではない。なんだか屁理屈のように聞こえるかもしれないが、人生にやってくるのは、ただの「事実」だけであって、それを「いいこと」「悪いこと」と人間が勝手に決めつけているのである。

例えば、「大学に合格した」のは「いいこと」と決めつける。「彼女にフラれた」のは「悪いこと」と断ずる。しかし、本当にそうだと言えるだろうか。不合格に奮起して、もっといい大学に入るかもしれない。フラれたことでさらに自分を磨き、もっといい彼女を手に入れるかもしれない。そう思うと、「合格した」「フラれた」というのはただの「
事実」以上の何物でもないことが分かるはずである。

仏教で言う「色即是空」とは、まさにそのことを言っている。人生にやってくる種々の事象はただの「出来事」であって、「良い」「悪い」という色はついていない。つまり「空(くう)」である。しかし、人間が勝手に色づけしてしまう。「若くして親を亡くした」と言うと、「悲しいこと」という色をつけてしまう。しかし当の本人がどう捉えるかによって色なんていくらでも変わる。私たちは知らず知らず、自分や他人にやってくる出来事に色づけをして見てしまうが、それは間違いなのである。