4月24日(水)☂️☁️ 4922歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。冷やし中華。
買い物は西武で。後日記す。10時出勤、6時40分退勤。

朝は0時に起きた。風呂に入り、ご飯を炊き、ご飯を食べ、ブログを書いて、また寝た。起きたら7時。外は雨。3日連続で散歩もランニングもサボった。まあ、雨なので仕方がない。起きて料理などを作った。洗濯もした。時間ができたときくらい、こうやって頑張らねば。

その後新聞を取りに行き、部屋で読んだ。ベランダは風が強くて諦めた。新聞を読み終えて9時半。支度をして会社へ。

10時から仕事。今日はえらい忙しい。来客が3人もある。ほとんどが引っ越し関係である。10時半に新聞のマイクロフィルムをデジタル化する事業をやっている人と話をした。11時からは引っ越し業者が下見にきた。午後は3時から県の文書館の人が処分する蔵書を見に来た。てんやわんやであった。

昼はいったん自宅に戻ってご飯。午後はまた出勤して仕事をした。引っ越しがいよいよ迫ってきたと感じる。会社の資料の処分も進めないといけない。あと4カ月を切った。ここからが正念場という感じがしてきた。

夕方は6時半すぎに終了して、帰宅。帰りに西武で食材を買ってきた。いよいよ豆腐やらなんやら、食材が尽きてきたと感じていた。牛乳もほしかったが、重くなるのでやめた。別のときに買おう。帰宅後ご飯を作って食べ、さっさと寝た。いつも通りである。カプリティオの動画も見た。ではコラムを。

■思考のハギレ(794) 世の中は、六、七分で十分である

人生において、いいことばかりが続くということは決してない。毎日真面目に生きていても、必ずなんらかのトラブル、厄介事が舞い込んでくるものである。「人生の半分はトラブルで、残りの半分はそれを解決するためにある」という有名な映画のセリフもあったと思うが、決して大袈裟ではない。真面目にやっていてもそうなのである。まして、真面目に人生に取り組まなかったら、もっとひどいことになるだろう。

ことわざに、「世の中は九分(くぶ)が十分(じゅうぶ)」というのがある。世の中は、100パーセント思い通りになるというのは望みすぎで、9割がた望みが叶えばそれで御の字だ、というわけである。しかしこれにはいささか不満がある。9割も望みが叶えば、それは出来すぎの部類で、むしろその後が心配になるレベルである。人間というのは、あまり思い通りになりすぎるとすぐ慢心を起こす。だからせいぜい6、7分の望みが叶えば、御の字としなければならない。

戦国武将の武田信玄に、こんな言葉が残っている。「勝敗は六分か七分勝てば良い。八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる」。戦国の世でなく現代でも通じるところがあるだろう。「勝ち」を「思い通りになること」と置き換えてみればいい。6、7割思い通りに行けば良しとしなければならない。9、10割の望み通りになれば、わがままを覚えて、周りから総スカンを食らう下地になってしまう。

小説家の色川武大さんも、こんなことを言っている。「14勝1敗の選手を、1勝14敗にすることは、それほどむずかしくない。ところが、誰とやっても9勝6敗、という選手を、1勝14敗にすることは、これはもう至難の技だね」。相撲は1場所15試合である。このうち14勝もしてしまうと、おごりが生じて稽古や研究に身が入らなくなる。「負けて覚える相撲かな」と言うように、負けて「なにくそ」と思い、次の場所でやり返そうという気持ちが起きる。世の中も同じで、勝ちは六、七分にとどめて、あとの三、四分の敗けで、「なにくそ」のエネルギーを補給したい。