3月27日(水)☀️ 14213歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。焼きそば。
買い物は西武で。後日記す。10時出勤、6時30分退勤。

朝は0時前に起きた。ずいぶん早い。風呂に入り、ご飯を炊き、ブログを書き、ご飯を食べた。いったん3時ころに寝て、7時に起きた。外は晴れている。出すのを忘れて溜めてしまったびんごみをようやく捨てた。袋3つ分くらい捨てた。ほとんどが酢のびんである。そのまま散歩に出かけた。足羽山動物園まで行って折り返した。帰宅後は新聞を読みながらコーヒーとアイス。いつもの時間。このために生きているのかも。9時30分にアラームが鳴る。そこから支度して会社へ。

10時から仕事。今日は部長がいない日である。静かに仕事をした。部長がいない日は静かである。昼になり自宅に戻ってご飯を食べる。いつもの時間。今日は比較的暖かい。もう春である。ちょっとここのところ寒すぎた気がする。久しぶりに青空をみたような気がする。ご飯を食べてまた会社へ。

午後の仕事にかかる。今日は静かで誰にも邪魔されないので、溜まっていた仕事を一気にやった。社内でコロナの感染が出たけれど、他への感染は食い止められたようである。そんなこんなで一日が終わり、夕方6時半には帰宅した。

帰宅前に西武で買い物だけした。そのあと自宅でご飯をさっさとつくって食べ、あとは布団に入った。カプリティオの動画を見て、しばらくしたら寝た。ではコラムを。

■思考のハギレ(766) 人生は「やや苦労多め」でやっていく

ギャンブル小説の大家、色川武大さんによると、人間だれしも「運はプラスマイナスゼロ」であるらしい。端的に言うと、人生にやってくるラッキーとアンラッキーの総和は等しいということになる。だからラッキーばかりやってくる人もいないし、アンラッキーばかりの人生もないということになる。大きなラッキーが来た人には、反動で大きなアンラッキーもやってくるということだ。

人生楽あれば苦あり、という。人生にやってくる楽と苦の総和が同じなら、最初のうちに苦を経験してしまうのがいいと考える人もいるだろう。色川さんはこの考えに陥ってしまった。だから、将来楽ばかり味わいたいと思うがゆえに、現在の苦ばかりを選んでしまったというわけである。「今の苦労が先での楽」と考えたわけだ。これはある意味正しいのかもしれないが、じゃあ一体いつになったら楽を味わえばいいのかという疑問が出てくる。

一膳のご飯で考えてみる。好きなものを先に食べてしまうと、嫌いなものが後に残ってしまう。こういう人生は選びたくない。人生の最後はやっぱりにっこり笑っていたいものである。終わりよければすべてよし、である。ならば先に嫌いなものから食べればいい。一膳のご飯ならば、嫌いなものはいつかきれいさっぱりなくなり、あとは好きなものばかり残る。しかし、人生において苦しみばかり選んでいても、苦しみが尽きることはない。だから、どこかで楽しみを味わうような切り替えが必要だ。

小生は現在、節約と投資をやっている。将来お金に困りたくないので、今苦労して節約し、余ったお金を投資に回しているわけだ。投資するとお金が増えて将来の配当収入も増える。まさに「今の苦労が先での楽」である。ところがいつまで節約をすればいいのかが困る。使うためにお金を貯めているのに、死ぬまで節約しても、貯め損である。少しずつ節約の手を緩めていかなければならない。でも、あまりに急に楽を享受すると、反動で大きな不運がやってきそうである。それも怖いので、やっぱり少し「やや苦労多め」でやっていくのがいいのかなと思う。