3月13日(水)☁️ 16042歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。焼きそば。
買い物は西武で。金額は後日。あとはなし。10時出勤、6時退勤。

朝は2時に起きた。風呂に入り、ご飯を炊き、ご飯を食べて、ブログを書いた。書き終わって5時すぎくらい。また寝た。起きたら7時。昨日は散歩をサボったので、今日は歩こう。眠い目を擦りながら歩く。足羽川は土手を工事している。工事車両がたくさん並ぶなかを歩いた。いつもどおり足羽山動物園まで歩いて帰宅。

帰宅後は新聞を読んでいた。コーヒーと、2日ぶりのアイスを食べる。冬でもアイスは書かせない。ここのところ、1年くらい毎週買っている。グリコのバニラティエである。バニラが一番おいしいと思う。

9時半にアラームが鳴る。支度せよの合図である。支度して会社へ行った。10時から仕事で、今日は特段予定もなかったので、やるべきことリスト(頭のなかにある)をひとつずつこなした。昨日まで忙しかったので、手がついていなかったことをやったが、今日でかなりスッキリした。まざ完全には終わっていないので、明日にはもっとすっきりさせたい。

昼になり一旦帰宅。ご飯を食べ、また会社へ。いつもどおりである。午後もいつもどおりこなして、今日は終了。6時ちょっとすぎにはもう会社を出ていた。

西武に寄って買い物をしてから帰宅。週の途中で一度食料を補給しないと、1週間は持たない。3000円くらい買い物して帰る。帰宅後ご飯をつくって食べ、あとはさっさと寝る。食べてからだらだらしないのがコツである。ではコラムを。

■思考のハギレ(752) 1日単位、週単位、年単位で自分を振り返る

経営の神様、松下幸之助さんは、「きょう一日、自分ながらよくやったと、自分で自分をほめられるほどに一生懸命仕事に取り組む日々を重ねてこそ、自分の実力も向上し、仕事の成果も高まる」と教えている。この、「自分ながらよくやった」という達成感こそが、本当の仕事の報酬ではなかろうかと思っている。「やろうと思えば、もう少しやれたな」という感触があったなら、「自分ながらよくやった」という達成感は味わえない。自分で自分を騙すことはできないからである。

自分で自分を騙す必要がないほどやりきったとき、本当の達成感を味わう。毎日それの連続なら、それこそ日々成長できるであろう。しかし毎日仕事ばかりするわけにもいかない。当然、休みの日も必要だ。だから、もう少し長いスパンで振り返ることも必要だろうと思う。具体的には、1週間単位で「今週1週間、自分ながらよくやった」と思えるか。あるいは年単位で「今年1年、自分ながらよくやった」と思えるかを振り返ってみるのである。

1年を大ユニットとするならば、その中に51の中ユニットが入っている。さらにその中には、7つの小ユニットが入っているイメージである。小ユニットがすべて高品質ならば、中ユニットも高品質になり、当然大ユニットの品質も保証される。しかしなかなかそううまくもいかないだろう。人間だから、小ユニットの品質が落ちる時もある。しかし、怠けた日の翌日は頑張って取り返せばいい。1週間通してみれば、平均以上になっていればいい。

1週間単位でも落第点のときもあるだろう。そんなときは、次の週に取り返せばいい。そうやって、一進一退しながらも、1年間トータルでなんとか平均点以上を目指そう。ここで平均点以上というのは、精神的に成長したということである。平均点以下ならば、退歩したということ。ドストエフスキーも、「人間のできるただひとつのことは、自分自身が精神的に成長することだ」と言っている。1年の総決算で、「自分ながらよくやった」を目指そう。