1月10日(水)☁️🐧 15627歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。焼きうどん。
買い物は西武で豆腐など。後日記す。10時出勤、6時15分退勤。

朝は0時に目が覚める。風呂に入り、ご飯を食べ、いつも通りブログをカチカチと打った。終わったら一旦寝て、起きたら7時前だった。寝足りない気もするが、外は晴れていたので、散歩に出た。足羽山動物園まで歩いて折り返す。帰宅後は新聞を読みながらコーヒーとアイス。昨日は時間がなくて食べられなかったアイスもちゃんと食べた。新聞を読み終わるころにアラームが鳴り、支度をして会社へ。

午前中は、せっせと仕事。12月伝票の最終的な処理をしていた。98パーセントは終わったかな。たまっていた新聞のスクラップする箇所を抜き出す仕事もやって、午前は終了。正月で休みがちだったのが、ようやく正常に追い付いた感じ。昼になり自宅でご飯。

午後はまた会社へ。通常の仕事に戻った感じ。夕方は、6時きっかりに仕事が終わった。あとはしばらくうだうだして、15分に退社。西武に寄って買い物をしてから帰宅。すぐにご飯をつくって食べ、あとは動画をいくつか見て、さっさと寝た。ではコラムを。

■思考のハギレ(690) 臆病であることが、長期的にプラスとなる

どんな人にも必ず長所はあるものである。苦瓢(にがひさご)にも取り柄あり、なんて言うが、苦くてとても食べられないようなヒョウタンは、食べても不味い代わりに、乾燥させて水筒として使うというとっておきの用途があったりする。小生も、たとえるならばヒョウタンである。取り立てて特技があるわけでもない。視力は悪いし、車にも乗れない。しかし、意外な使い途があったりすると信じている。

車にも乗れない障害者で、イケメンでもない、頭も良くない、運動もダメ、手先も不器用、しゃべりも下手、ときたら、まさに煮ても焼いても食えないようなシロモノである。しかし、そんな小生にも苦瓢同様、なにかとっておきの取り柄がないものかと考えていた。そしてようやく気づいたきたことがある。何の才能もない者だからこそ、できることがあるのではないかと。

才能のない人間は、何をするにも臆病である。堂々とできない。他人のやるのをじっくり観察してから、最後に自分もちょこっとだけやってみる。とにかく、何事にも尻込みしてしまうのである。「もっと才能があれば、大胆に物事をできるのになぁ」なんて嘆いてみたりする。しかし、そんな臆病者こそが、活躍できる世界というのも、世の中にはあるものだ。投資の世界がそうではないかと気づいた。

投資の天才、ウォーレン・バフェットは、「プロよりも、自分の欠点を認識している素人のほうが、長期的には好成績なのです」と言っている。小生も、びくびくしながら3年前、本格的に投資を始めた。ここのところの上げ相場で、3年間で実に資産が2倍以上になった。もちろんこつこつ節約した成果とも言えるだろうが、自分の才能のなさを自覚しながら、臆病に臆病を重ねて投資を続けてきた成果ではないかと思っている。