12月31日(日)☁️ 9757歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯は自宅で食べる。その予定。
買い物はなし。3カ所の神社でお賽銭計300円。あと、電車賃190円の予定。今週の買い物は、水曜に西武で2254円、同日ハニーで米を買い2200円、土曜にスギ薬局で3806円、同日西武で4032円。合計12292円。このあと実家に帰るので、ちょっと買い物するかも。

朝は1時に起きた。風呂に入り、ご飯を食べ、ブログをカチカチ打った。また寝て、起きたら8時すぎ。天気もかろうじて良さそうなので、散歩に出た。足羽山を散歩。途中神社が3カ所あるので、いずれも立ち寄ってお賽銭を投げてきた。初詣は明日だが、お参りできないので大晦日に参る。これも去年から始めたこと。大晦日に参れば、めちゃくちゃスムーズである。あっという間に3カ所回れる。

帰宅して10時前。そこから新聞を読みながらがらコーヒーとアイスの時間。はじめベランダでやったが、寒くなってきたのでやめた。部屋に戻って続きを読んだ。読み終わったらもう11時すぎ。少し本を読んで、ご飯を食べた。

食べて今こうしてブログ打ちをやっている。終わったら買い物をして、実家に帰ろう。3時くらいになるかな。今日はまだお昼なのに日記を書いている。しばらく書けなくなるから。

ということで、コラムを書いて、今日は終わりとする。ではコラムを。

■思考のハギレ(680) 人生に飽食するより、ハングリーでありたい

NHKの大河ドラマ「どうする家康」にこんな織田信長のセリフがあったと記憶している。「安寧な世を治めるのは乱世を静めるよりはるかに難しい」と。いまはまさに安寧の世なのであろう。現代の政治家は戦国武将よりもはるかに難しい舵取りを担っているのかもしれない。

なにしろ、乱世においては、国民は「生きていること、食えること」が満たされていればよかった。ところが安寧の世においては、それだけでは満足できない。人間の欲望には限りがないというけれど、生きられるようになったらなったで、食えるようになったらなったで、次の注文をしてくる。道路が悪いから直せとか、橋がないと不便だから作れとか、税金が高いとか、もっと年金を寄越せとか、教育費を下げろとか。

人間は恵まれた環境に長くいるとだんだん楽を覚える生き物らしい。だからと言って、恵まれたものを一切全部投げ捨てろというのも違うだろう。恵まれた環境に感謝して、志を高く持って生きていけたらそれが一番である。とはいえ、恵まれた環境に感謝するというのは、なかなか難しい。

小生は、幸か不幸か、人生において何度も挫折を味わってきた。他人がそれほど苦労せずして手に入れてきたものを、ことごとく手に入れることができなかった。車の免許もそうであるし、大学入学もすんなりとは手に入れられなかった。いまだに独身で、人生の伴侶も手に入れていないし、もちろん子供もいない。これは明らかに人生において苦杯をなめて来ているが、考えようによってはだからこそ未だに人生において奮闘できているのかもしれない。ハングリー精神とも言うけれど、いまだに飽食していないところが強みになるかもしれない。