12月27日(水)☂️☁️ 5166歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。うどんなど。
買い物はお米。週末に金額はまとめて書く。10時出勤、6時15分退勤。

朝は1時に起きた。風呂に入り、ご飯を食べ、ブログをカチカチ打った。また寝て、起きたら7時。外は雨が降っていたので、散歩は休んだ。週に1回は休んでいいという自分ルールなので、天気が悪いときにその1回を有効に使う。

新聞を取りに行ってコーヒーを飲みながら読んだ。アイスはおやすみ。散歩せざる者食うべからず。9時半になり支度をして会社へ。今日も寒い。

10時から仕事。明日で仕事納めである。今年のやり残しがないようにせっせと仕事をした。昼になり自宅でご飯。食べ終わったらまた会社へ行って、午後からまた仕事。

夕方は6時すぎまで仕事をした。終わって帰宅して、さっさとご飯を作って食べた。で、8時からのカプリティオチャンネルを見てあとは寝た。ではコラムを。

■思考のハギレ(676) 継続の難しさは、目移りしないことの難しさ

「継続は力なり」という。何事も続けることが大切であるとみんな小さい頃から教えられてきたのではないかと思う。ということは、逆に言えば、続けるのは難しいということになる。簡単ならば、わざわざことわざにしてまで継続の大切さを教える必要がない。難しいことだから価値があるし、「力なり」とその大切さを教えられているのである。

ところが作家の森博嗣さんのエッセィでは、「続けるのは簡単だ」と書いてあった。さすが逆張り大好きな森さんである。でもたしかにこれは、物事の本質を表している。物事は、やり始めが一番苦労する。勝手がわからないからである。2回目をやるのは、いくぶん易しくなる。少し勝手がわかってくるからだ。1回目にやった労力を100とすれば、2回目は96くらいになるのではないか。3回目は93くらい、慣れてくると80とか70くらいになるのかもしれない。

「商売は道によりて賢し」という。その道の専門家になれば、それ相当の知識と経験が備わっているという意味である。その知識、経験の蓄積があるから、続けることが「簡単」になるのだろう。だから森さんの言うことは間違いではない。しかし、それを聞いても私たちにはなにか釈然としないモヤモヤ感が残る。現実問題として、何かを続けることは厳然として難しいと感じる。

小生が思うに、この「難しさ」の本質とは、労力の問題ではないのだろう。心の問題なのではないか。一つのことに目標を定めるということは、他のことをやらないと決めることだ。人間は何かに熱中しようとしても、すぐに飽きてしまって、道草をしたくなる生き物だ。それを戒めながら、一つの道に進むというのが続けることの難しさの本質である。続けることの難しさは、他の事に目移りしないことの難しさと言い換えてもいい。