1月23日(月)☀️ 14830歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯を炊いた。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。カレーうどん。
買い物は、同僚に差し入れ。348円。ガム。出勤10時、退勤6時20分。

朝は0時に起きた。風呂に入り、ご飯を食べ、ブログ打ちをした。しばらくごろごろして、寝た。4時くらいかな。で、また7時半に起きた。トータルで6時間くらい寝たかな。で、眠いのを我慢しながら支度をして散歩に出た。朝の散歩が気持ちいい。しかも、いろんなことを思い出す。あー、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃと、思い出す。そんな毎日だから、散歩のおかげでどれだけ助かっているかわからない。散歩しないと、ついうっかりミスをやらかしてしまいそうで、怖くなっている今日このごろである。

帰宅したら9時半だった。腹は減るが、もう会社にいかないと。とは言え、やっぱり腹が減ってはなんとやらで、味噌汁1杯とアイスとコーヒーだけ食べてから会社に行った。ちょっと遅刻だったが。午前は仕事で、昼は自宅に戻って飯。1時にはまた会社に行って仕事。午後は予算の続きをやった。だいたい75パーセントくらい終了したかな。まだそこまで行ってないくらいかも。で、明日から会社のアイドル的存在が長期出張に出てしまう。明日から出社する楽しみが、8割近く減ってしまうことは間違いない。車で朝早くに移動ということで、眠気覚ましのガムを差し入れた。小生にできるのはこれくらいである。

で、6時すぎに終わって、帰宅。ご飯を食べて、カプリティオの動画更新は8時なので、それまでなんとか待って、みてから寝た。ではコラムを。

■思考のハギレ(339) ひとすじの気持ちで生きていく

つくづく思うことだが、映画のシナリオというのは都合よくできているものだ。2時間の映画なら2時間の中で、もっとも感動できる部分をラストに持ってくる。いちばん盛り上がるところでうまく終わるのである。実際にはその後日談があって、映画のストーリーに水をさすようなものかもしれないが、そんなことには微塵も触れない。終わりよければすべてよし、である。そしてそのラストが映えるようなストーリーを序盤から中盤にかけて逆算して作っていく。

ところが現実の世界では、映画のようにはいかない。ラストが決まっていることなどあり得ない。人生とは地図なき道を行くようなものである。筋書きもないし、筋の書き直しもできない。話を「盛る」こともできない。そして、ここで終わり、という区切りをつけることもできない。一時は大団円のように終わっても、次の日にはまた問題がぶり返しているかもしれない。人生とは、絶えず苦しみ悩みの波が押し寄せてくるところであるからだ。

人生は、ここからここまでと、都合よく切り取ることはできない。ゆりかごから墓場まで、産湯から棺桶までのフル尺が人生である。そして、いつ墓場がやってくるのか、いつ棺桶がやってくるのかはわからない。何十年先かもしれないし、明日かもしれない。そう考えると、人生とは映画とはまったく違うアプローチで作り上げていかなければならない。逆算で筋書きを作ることはできない。「感動させてやろう」という下衆の考えは必要ない。散らない花はないけれども、花は咲き続ける。なぜ花は美しいのか。ひとすじの気持ちで咲いているからである。下衆な考えは捨てて、ひとすじの気持ちで生きていくのがいいようである。