岩手の和尚さん | 標葉工房電脳帖

標葉工房電脳帖

面舵取舵一杯!宜しく候!ヨーソロー!航海中です

イメージ 1

【岩手の和尚さん】は 昭和33年に 発売された。
作曲は昭和30年代の 歌謡界を支えたヒットメーカー吉田矢健治(よしだや・けんじ)で
作詞は矢野亮だ。
大寒(おおさむ)小寒(こさむ) 山から木枯らし降りてきた・・・で始まるこの唄
どうも岩手県のご当地ソングではないような気がする。

実は某プロダクションの某社長さんもそのような意見をもっていて、以下のように考えている。

「岩手の和尚さん」のことだが、この「岩手」は岩手県の岩手ではなく、山手より
厳しい岩だらけの山から来た和尚さん、という風に考えてる。
どうにもあの歌詞から「岩手県」を想像する根拠が見えないので
そのように割り切っている。

確かに!たしかに、岩手県人は寒さに強くて牛のように辛抱強いのだ。
たかが木枯しなどで、山から逃げたりしないと思う。
また夏山冬里形式のお寺が岩手県内にあるのか、不可解だったので、
岩手県のご当地ソングにしてはおかしいなあと思っていた。

世間的には岩手県の山の中の御寺の出来事の唄として通用しているが、
もっと奥深い意味が隠されていると解釈できそうだ。
そこで小生の浅考珍説開陳
古典文学に、ものを伝えられない思いに「言わで」を掛けて、「いはての山」が登場する。
また大和物語の一説に帝がお気に入りの鷹の名「岩手」がみる。
この鷹の岩手を失った時の悲しみを
「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、
「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。

山寺の和尚さんは寒くても寒いと言えないし、白頭巾をかぶって里へ下りてきた。
小僧も木魚をかついで降りてきたのだから、寺の機能は冬の間、里に移転する。
村人も何故和尚が降りてきたのか知っているが、いわずもがな、いわずもがな。
それを言っちゃあ、お仕舞いよ。ということで、
和尚さん、ゆっくりしていってくらんせ。
無言の了解を岩手に懸けた。などと想像すれば、この歌の内容はかなり濃いかと。

それにしても、どこの故里のお寺のことかと疑問が残る。
作詞関係者の方がご存命であれば、ぜひ伺いたいものですが。、、、、、、、、、。