標葉工房電脳帖

標葉工房電脳帖

面舵取舵一杯!宜しく候!ヨーソロー!航海中です

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ああ我にダンテの鬼才なく、バイロンやハイネの熱もない。

しかし、言葉が概念を失ったまま公共空間を流通していく過程だけは、看過できない。

貴紙を含む主要紙が用いる「リベラル」という語は、もはや思想概念ではなく、特定の立場を穏健かつ正統に見せるための自己同定ラベルとして機能しているように見えます。

個人の自由、権力制限、表現の自由といった原理との対応関係が示されないまま使われる以上、それは分析語ではなく修辞です。

問題は立場の違いではありません。

社会の公器を自認する言論機関が、検証不能な価値語を用いて自らを位置づけ、その内在的矛盾を検討しないことです。これは狂気ではないにせよ、自己規律の放棄、すなわち堕落と呼ぶほかありません。

用語の厳密さは、思想の純度ではなく、言論の信頼性を支える最低条件です。

「リベラル」という言葉を今後も用いるのであれば、何を意味し、何を意味しないのかを、紙面上で明確にされることを望みます。

一読者として、貴紙の理性への自負が修辞にとどまらぬことを期待します。

            古い過去の丸太置場にて 砂

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新聞はなぜ「リベラル」という用語を誤用してはならないのか

 

現代日本の新聞は、自らを「リベラル」と位置づけ、あるいは特定の政治的立場や論調を「リベラル」と形容することを常態化させている。しかし、この用法は政治思想史的にも、言語倫理の観点からも、看過しがたい誤用である。問題は単なる言葉遣いの瑕疵ではない。社会の公器を自任する新聞が、概念の精度を放棄しているという、より深刻な堕落に関わる。

本来、リベラル(liberal)とは、近代政治思想において明確な意味を持つ概念である。個人の自由と尊厳を最上位に置き、権力を制度的に制限し、法の下の平等、表現の自由、思想信条の自由を原理的に擁護する思想である。そこでは、不快な言論や少数派の主張であっても、権力や多数派の感情から切り離して守られるべき対象となる。リベラルとは、態度や気分ではなく、厳格な原理の体系である。

ところが日本の新聞における「リベラル」という語は、こうした思想的内実と切断されている。それはしばしば、「反自民的」「反権力的」「進歩的」「良識的」といった、自己同定的・道徳的なラベルとして用いられる。しかもその際、表現規制の容認や、国家による価値判断の介入を肯定する論調と併存することすらある。これは明白な自己矛盾であり、リベラルという概念の核心を空洞化させる行為である。

この誤用が問題なのは、新聞が単なる一意見主体ではなく、「公共的討議を支える装置」であることを自任してきた点にある。公共性を担うメディアにとって、用語の定義と一貫性は、倫理以前に職能上の義務である。概念を曖昧なまま価値語として流通させることは、読者に対して誤った理解を再生産し、議論の前提そのものを歪める。これは報道の自由の行使ではなく、報道責任の放棄に近い。

さらに問題なのは、この誤用が偶発的なものではなく、長期にわたって修正されてこなかったことである。冷戦終結以降、「左派」「進歩派」という自己規定が正当性を失う中で、新聞は「リベラル」という語を代替的に採用した。しかし、その際に思想的再定義は行われなかった。結果として、リベラルは検証不能な称号となり、批判から身を守るための修辞的盾として機能するようになった。

この状態は、単なる偏向ではない。**自己の役割と実際の機能が乖離しているという意味で、制度的な不整合、すなわち堕落である。**新聞は今なお理性や普遍性を語るが、同時に、理性の前提条件である概念の厳密さを自ら破壊している。その姿は比喩的に「正気を失っている」と表現されても不当ではない。

では、新聞に残された道は何か。答えは、すでに見えている。新聞は「価値を導く主体」であることを断念し、事実報道装置としての役割に徹する以外にない。一次資料の掘り起こし、継続的取材、時系列整理、訂正履歴の公開――これらは今なお新聞が優位を保つ領域である。この機能に集中するならば、少なくとも「リベラル」という価値語を濫用する必要はなくなる。

結論として言えば、新聞が「リベラル」という用語を誤用し続けることは、思想的誤解を招くだけでなく、社会的信頼を自ら削り取る行為である。**新聞はリベラルを語る前に、言葉を定義する責務に立ち返るべきであり、それができないなら、その語を使うべきではない。**それは思想選択の問題ではなく、公共的職能としての最低条件なのである。

            標葉石介改め砂

"Names and natures do often agree."

名は體を表す つまり 字は態度を表す 😂

云いたいが これ以上云われない 南部女杜氏🍶

「いったんはじめたらビクッともせんことですわ。押しまくっとったら、必ず突破口は見つかりますわ。そういうもんですよ、諍(いさか)いちゅうもんは」〝喧嘩のプロ〟より

 

平泉中尊寺文化とでもいうのでしょうか関山中尊寺の山系には山王嶽という立派な山頂があるのに地理院も地元もその低山を記載しようとしないのは何故だろう 弁慶堂は北緯36度00分00秒に位置しているが誰も何も言わない そもそもアテルイ所縁の胆沢平野という広大な土地を捨てて豊田館を出て衣川という小川のような河川にへばり付いた土地に清衡さんが移住したのは何故だろう 中尊寺をして北を睨み毛越寺をして南を睨む策か否か なるほど狭小な土地柄で敵を押さえた方が効率的なのだ 誰だ敵は

先の大戦の反省?原爆落とされて反省?

ましてや先祖や先人たちが行為を個たる自己が反省できる訳は無い 

それは思い上がりというものだ

猿でも分かる反省とは?

① 自己の過去の言動についての可否、善悪などを考えること。自分の行為をかえりみること。

② 心理学などで、単に外的事物を認知するだけでなく、

すでにもっている経験・知覚・観念の関係に注意し、問題の解決を求めて思考すること。

 

過ちは人間社会においては幾度となく繰り返される

輪廻は転生し 水は五則で流転する

 

ザイム丸儲けして経営者と消費者が大損害 経団連の阿呆

理論的にはこうなる 弱者が困っているのを無視してはいけないのだ.誰のために何のための誰による政治なのか最近はいやはや最近も不可解なり ポピュリズム以前の話だ山守くんよ 特に石っぱか言いっぱなしかよ大丈夫か我が国よ いやもうすっこんで頂きたい スメタナの我が祖国第2曲『ヴルタヴァ』を聴きながら 国難は獅子身中の虫

暴力はいかん、話し合いを、という声を出すだけでは糞ほどの役にも立たないのよ、○○さん!

相手を服従させるだけしか、今の人類には脳がないのだ。

そのためにはこういうご褒美が、かの人がいう取引という手法だ。

人類は今こういうところを歩んでいるのだ。

宇宙における物理的秩序は物理学が教える物理法則に従っている。地球上に於ける生物の繁栄、存続の法則は環境適応能力と排他的競争能力に依存しているかのように見える。

人類も生物の一つの種であるが 何に向って、今何処を歩んでいるのか。価値観の相違を乗り越え得るもの、服従以外に何か他にないのだろうか。

そして我々は 何処へ行こうとしているのだろう

冒険の旅は縄文人が台湾から与那国へ 多分双胴船かと思うが

黒潮に逆らいながら漕ぎ続け 星を見ながら渡り切った時に

終わったのだらう.

人類の栄光はAIに取って代わり その知能がI Cチップに成り果てても そのマシーンはまた延々と戦争を継続するのだろう.

電磁波が飛び交う 真っ暗闇の絶対零度の中で果てしなく

常在戦場 平和は間氷期と同値だと