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悪夢の731部隊

抗ガン剤をいろいろ調べている内に、悪夢の731部隊にたどり着いてしまった。


中国でつくられた「黒太陽」という映画も、1,2,3と見てしまった。

全てをそのまま受け取るのも危ないので、話半分のつもりで見たが、ひょっとしたら、現実はもっとひどかったのかも知れないと感じてしまった。


途中で何度も気分が悪くなって、中断もしたが、なぜだか知っておくべきだとの思いで最後までみた。


政治的な話にはまったく興味がないので、中国が、日本がと言うつもりもない。

戦争があれば、どこの国もひどいことや虐殺などが起こっている。

日本だけではないだろう。


それよりも、731部隊の残党が、処分されずにその後日本の医学界や、製薬業界などの重鎮として、牛耳っていたことの方が問題が大きい。


たとえば、凍傷実験をやっていた「吉村寿人」氏は、ウィキペディアで検索するとちゃんと出てくる。


こんな記事


吉村 寿人(よしむら ひさと、1907年 - 1990年)は日本の医学者。生理学者として師である正路倫之助(兵庫県立医科大学、後の神戸医科大学初代学長)より731部隊に赴任するよう命じられ、凍傷研究に従事した。吉村の731部隊における研究について、かつての部下らによるハバロフスク裁判での証言やイギリスの取材陣らが収集した証拠資料と証言資料では、人体実験での貴重な「研究」とされる。戦後、731部隊の人体実験のデータと推定されるものを用いて日本生理学会に論文を多数発表する。また、戦時中においてもすでに成果を同学会において口頭発表がなされていた。戦後京都大学に戻り、正路倫之助が学長になった兵庫県立医科大学(現在の神戸大学医学部)に移動して研究を続け、その後京都府立医科大学の教授となり、学長を務めた。1978年には、「環境適応学」の先駆的業績を果たした功績に勲三等旭日章が授与された。


1930年(昭和5年)京都帝国大学医学部卒業
1936年(昭和11年)京都帝国大学講師
1938年(昭和13年)731部隊第一部凍傷研究班長
1945年(昭和20年)帰国
1962年(昭和37年)日本生気象学会会長
1967年(昭和42年)京都府立医科大学学長[1]
1972年(昭和47年)兵庫医科大学教授
1978年(昭和53年)勲三等旭日中綬章受章
1980年(昭和55年)神戸女子大学教授


その他の関係者も同様だ。


七三一部隊関係
石井四郎  (第一・三代部隊長)
北野政次  (第二代部隊長)         ミドリ十字共同設立者・取締役/日本学術会議南極特別委員/文部省百日咳研究会
吉村寿人  (凍傷研究班)          京都府立医科大学学長/日本学術会議南極特別委員/生気象学会会長
笠原四郎  (ウイルス研究班)        北里研究所
田中英雄  (ペストノミ研究班)       大阪市立大学医学部長
湊政雄   (コレラ研究班)         京都大学教授
田部井和  (チフス研究班)         京都大学細菌学教授/兵庫県立医科大学教授
所安夫   (流行性出血熱研究班)      東京大学教授/帝京大学教授
江島真平  (赤痢研究班)          国立予防衛生研究所
二木秀雄  (結核研究班)          ミドリ十字共同設立者
岡本耕造  (病理研究班)          京都大学医学部長/近畿大学医学部長
石川太刀雄丸(病理研究班)          金沢大学医学部長/金沢大学癌研究所所長/日本学術会議会員
草味政夫  (薬理研究班)          昭和薬科大学教授
八木沢行正 (植物学研究班)         国立予防衛生研究所/日本抗生物質学術協議会理事
朝比奈正二郎(発疹チフス・ワクチン製造班)  国立予防衛生研究所
園口忠男  (細菌戦研究班)         陸上自衛隊衛生学校副校長
増田美保  (細菌戦研究班)         防衛大学校教授
安東洪次  (大連支部長)          東京大学伝染病研究所教授/実験動物中央研究所所長
春日忠善  (大連支部長)          北里研究所/文部省百日咳研究会

村田良介  (南京一六四四部隊)       国立予防衛生研究所所長(第七代)
小川透   (南京一六四四部隊)       名古屋市立大学医学部教授

陸軍軍医学校防疫研究室関係
内藤良一  (陸軍軍医学校防疫研究室)    ミドリ十字共同設立者・社長・会長
宮川米次  (東京帝国大学伝染病研究所長)  東芝生物物理化学研究所所長
緒方富雄  (東京帝国大学伝染病研究所助教授)東京大学医学部教授
細谷省吾  (東京帝国大学伝染病研究所教授) 東京大学伝染病研究所教授
柳沢謙   (結核研究)           国立予防衛生研究所所長(第五代)
小島三郎  (東京帝国大学伝染病研究所教授) 国立予防衛生研究所所長(第二代)
小林六造  (京都帝国大学教授)       国立予防衛生研究所所長(初代)
戸田正三  (京都帝国大学教授)       南極特別委員/金沢大学学長
木村廉   (京都帝国大学教授)       日本医学会副会頭/名古屋市立大学学長
正路倫之助 (京都帝国大学教授)       第一期学術会議会員


すごいではないか!

日本の医療が、ほとんど731部隊関連で占められているような気までする。

人間を丸太と呼んで、生きている人間をそのまま解剖するような恐ろしいことをした人達だから、

人が死ぬことなど何とも思っていないだろう。


そうとう強烈な描写があるので、あまりおすすめしないが、それでも見たいという方どうぞ。


黒い太陽


ファイルが大きいので、ダウンロードしてから見て下さい。























高血圧の基準値 180→130

高血圧の基準値が、180から130に。


もともと、180だった高血圧の基準値が、


 2000年に170に下げられ、


 2004年に140に


 2008年に130に


なんとわずか8年で、50も下げられてしまった。


その結果、全国で高血圧患者が急増! 4000万人近い患者が生まれた。



降圧剤治療はきわめて危険。


 死亡リスク   5倍

 脳梗塞     2倍

 死亡率     1,4倍

 副作用     膨大


人間の血管は、血圧185までは破れないことが証明されている。

180の定義には意味があった。      大櫛教授



良心的医師は全員 「検診拒否!」

















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診断基準の操作?

2006年7月19日放送の、NHK「クローズアップ現代」のビデオ撮りで、大櫛教授はこう批判した。


  ・「メタボの腹囲基準は、世界的基準から見て問題がある.」


  ・「他の項目も科学的根拠がない。」


  ・「メタボ症候群は、病気ではない.」


  ・「生活習慣病の改善目標にすぎない。」  と熱心に語った。


実際に放映されたコメントは、わずか1分にカットされていた。


残りはメタボリック・シンドロームが新しい病気のように、強調する内容だった。


NHKも実態はこんなものです。


NHKも含めて、マスコミの情報はすべてうのみにしてはダメです。



国際的医学雑誌にも、あまりに露骨な日本のメタボ検診の異常が指摘されている。


日本の腹囲基準  男性  85cm以上   女性  90cm以上

.

この数値にまず、国際糖尿病連合(IDF)から声明が出された。


「日本の男性の腹囲が、女性より小さいのは奇妙! 

日本人の基準は、男性が90cm以上、女性は80cm以上が正しい。」


日本の男性の85cmは異様にきびしすぎる。

男の85cmは、日本男性のウエスト周囲径の 中央値 にあたる。


国民のごく標準的な数値が、保健指導の対象となること自体、この基準のおかしさを表している。


                                         大櫛教授