続きの第2編ですね。おねがい


認知症の父を介護しながら気づいたことのひとつは、

 

味覚の変化でした。ひらめき電球

 

アルツハイマーを患っている私の親しい友人も同じです。

 

私の父は以前、トッポッキなどの軽食類を好まなかったし、

 

ケーキやクッキーのような甘いお菓子もほとんど食べない人でした。


一方、友人はとても繊細な感覚の持ち主で、

 

高級料理を好むタイプでした。

 

しかし今では、プルコギやトンカツ、ケーキやクッキーなど、

 

少し甘めの食べ物ばかりを食べたがります。


これは、脳のさまざまな部位の機能が少しずつ損なわれることで、

 

食習慣や味覚、嗅覚にも影響が及ぶためだそうです。

 

だから、いつも家にはお菓子を置いてあります。


食卓の上やベランダ近くの棚に置いておくと、

 

父がいつでも好きなときにお菓子を楽しめるんです。

 

どうにかしてお菓子を見つけ出して食べている父の姿を見ると、

 

思わず笑ってしまうこともあります。


「え?どこにあるって言わなかったのに、

 

どうしてそこにあるってわかったのはてなマーク

最近、父と私のお気に入りは、コンビニのレモンパウンドケーキです。


ベーカリーのものにも負けないほどの美味しさで、

 

つい手が伸びてしまいます。爆  笑

 

父が80歳くらいの頃だったでしょうか。


あちこちが痛いと言う父を連れて、

 

私はよく韓方医院(ハニウォン/東洋医学の医院)に通っていました。

治療を続けていても痛みがなかなか良くならなかったので、


私は医師に「父がまだ痛いと言っています」と伝えました。

するとその先生がこう言ったのです。


「その年齢なら、痛いのは当たり前ですよ」と——。笑い泣き

 

体のあちこちが痛いと、やはり気持ちも沈んでしまいますよね。


高齢期にうつ病を抱えている人は、

 

認知症を発症するリスクが2倍以上高いという研究結果もあります。

 

私の父も、うつ症状から少しずつ認知症が現れ始めたように思います。


親しい友人も同じで、うつ病から始まり、

 

やがてアルツハイマーを発症しました。

 

 
私は、うつ病の症状の中で最も有害なのは、
 
自己否定・自責感・自尊心の低下だと思います。

まるでメビウスの輪のように、
 
終わりのない苦しみの輪に閉じ込められて、
 
その苦しみさえも終わらないような気がします。
 
そんな父に対して、私にできることは、父を無力な人として見なさず、

自分でできることを少しずつやってもらうように促したり、

具体的に褒めて励ましたりすることです。
 

毎日のように「もう終わりだ。きれいに死にたい。

 

もう病院には行きたくない」と言う父には、こう言います。

 

「どうせ人はみんな死ぬんですよ。


でも、どうやって死ぬかが大事なんです。


介護施設のベッドに寝たきりで動けなくなって死ぬのか、


それとも、少しでも痛みを減らして、

 

最期の日まで自分の力で動きながら生きるのか――それが大事なんですよ。

 

私はお父さんを施設に入れるつもりはありませんから、

 

そうならないようにお父さんも努力しないといけませんよ。」

 

「本当に施設には入れないでいてくれるの?」

 

 
韓国では、まだ介護施設に対するイメージがあまり良くありません。

高齢者たちは、「施設」と聞くと、死にに行く場所だと考えています。

また、家族に見捨てられたと感じたり、
 
一度入ったら二度と出られないとも思っているのです。
 
ほとんどの場合、一度入るともう出られないというのは事実ですが。ガーン
 
そうして毎日散歩をしながら、筋肉がこれ以上落ちないように促し、

また食事の際には父の体質に合った食べ物を中心に用意し、
 
時々は特別な料理も作っています。

うつ病が重い場合でも、
 
美味しい食べ物は食べたいと思うものですから。おねがい
 
また、父は「もう病院には行きたくない」と言うこともありますが、

私が何とかして名医を探して予約を取り、連れて行くと、

帰りには「お前がいなかったらどうなっていたか…」と
 
言ってくれるんです。
 
このように、認知症の家族がいる場合は、
 
やはり生活面や精神的なサポートがより多く求められます。
 
今のところ、父はまだヘルパーさんが家に来ることを望んでおらず、
 
私もまだ自分で対応できると思っていますが、必要になれば、
 
ヘルパーさんに来てもらって、
 
1日4時間でも手伝ってもらうことになるでしょう。
 
もしかすると、AIが高度に発達した社会が来れば、
 
認知症という病気はなくなるかもしれません。
 
今、認知症の家族を介護している人たちがいるとしたら、
 
私たちがその“最後の世代”になるのかもしれませんね。
 
だからこそ、今この時代に生きる私たちにできることは、
 
目の前の大切な人に寄り添い、
 
日々を丁寧に過ごしていくことなのだと思います。
 
未来がどんなに変わっても、この「思いやり」の心だけは、
 
きっと変わらずに受け継がれていくことでしょう。おねがい
 
-今日もありがとうございました。ドキドキ-