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「このままの人生では終わりたくない」――その一心で、
私は大邱・八公山のカッパウィへ向かいました。

これは、慶尚北道慶山市にある八公山・冠峰石造如来坐像の公式写真です。
韓国ではこの場所を「カッパウィ」と呼んでいます。
ここを訪れて祈りを捧げると、たった一つだけ願いを
叶えてくださるという信仰が伝わる場所です。
叶えたい願いがあったからこそ、いつか必ず訪れたいと願い続けていました。
しかし、時間にも心にもまったく余裕がなく、
ずっと足を運ぶことができなかった場所。それが、カッパウィでした。
自宅から大邱・八公山までは、車で約4時間半の道のりです。
日帰りで行く予定だったため、午前3時30分に出発しました。
前日はほとんど眠ることができなかったので、途中で何度か高速道路の
サービスエリアに立ち寄り、仮眠を取ったり休憩を挟みながら向かいました。
そのため、八公山に到着したのは午後1時頃になりました。

リュックに500mlの水、登山用の手袋、そしてトレッキングポールを準備し、
いよいよ山を登り始めました……。

どこまでも続く上り坂、そして容赦なく続く急勾配の石段……。

汗で全身びしょ濡れになりながら、ようやく善本寺(ソンボンサ)に到着
ガッパウィ(笠をかぶった石仏)は善本寺が管理している石仏です。
韓国では、気の流れが強く、山や水に恵まれた場所には、
必ずと言っていいほどお寺が建てられています。

人々の願いが込められた奉納提灯がたくさん飾られていました。
ここからさらに急な石段を登っていくと、

ようやく、カッパウィがある山頂へ到着しました
大邱は京都と同じような盆地に位置しており、
夏の暑さが非常に厳しいことで有名です。
そのため、「大邱(テグ)」と「アフリカ」を組み合わせた「テフリカ」という
愛称まであります。
八公山も大邱に位置しているため、山頂にたどり着くまでは
本当に暑くて大変でしたが、頂上に着くと空気はひんやりとしていて、
とても涼しかったです。

統一新羅時代の8~9世紀頃に造られたと推定されている、
カッパウィこと冠峰石造如来坐像。
いや、本当に驚きました。
統一新羅時代、つまり8~9世紀頃。
この山にはまだまともな道もなく、虎や熊が生息していた時代です。
そんな時代に、修行、あるいは苦行にも近い思いで山頂まで登り、
お寺を建立し、さらにはあの巨大な石仏まで彫り上げた人々がいたとは…。
その精神力と信仰心には、ただただ圧倒されるばかりでした。
私は一番登りやすいと言われている階段のある登山道を歩きましたが、
それでも山はかなり急で、息が切れるほどでした。
統一新羅時代には当然このような登山道など存在しません。
あの時代に山頂まで登るだけでも、とてつもなく過酷だったに違いありません。
私も一つだけ願い事をしながら静かに座っていましたが、
周りの人たちは絶え間なくお辞儀を繰り返しながら、
それぞれの願いを一心に祈っていました。
その時、私の耳にスピーカーから響く説法が聞こえ始めました。

凡所有相 皆是虛妄 若見諸相非相 卽見如來
「およそ形あるものは、すべて虚しいものである。
あらゆる形相を形相ではないものとして見ることができるなら、
そのとき如来を見ることができる。」
ここでいう「相(そう)」とは、単に外見だけを意味するものではありません。
- 人の容姿
- 地位や名誉
- お金や権力
- 美しさや醜さ
- あらゆる物事の形や姿
- さらには、「私」という自我の概念までも含まれています。
人の見た目に惑わされるな、形あるものに執着するな、
名前や地位に惑わされるな、「自分のものだ」という思いにも執着するな。
すべては移り変わるものだから、
「これは一体どういうことなのだろう
」
私自身もそうですが、ここで一心に祈りを捧げている人たちも、
結局は「相(そう)」のためにここへ来たのではないでしょうか。
誰かの大学合格、昇進、より良い人生、仕事の成功、良縁、
そして家族の健康や幸せ――。
それらを願うために、この場所を訪れているのですから。
そうです。私の耳に届いたのは、『金剛経』の説法だったのです。
「形あるものに惑わされるな。執着するな。」――そんな法話が流れる中、
私たちはそれぞれの願いを叶えたい一心で、
熱心に手を合わせていたのでした。
私は静かにその場を後にし、山を下りました。

それでも私は、自分の願いが叶うことを願わずにはいられませんでした。
---最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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