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最終日の16日にハハパレ仲間5人で行って来ました(*^^*)

熊本菊池アンナプルナへは1年ぶり2回目の訪問です♪
前回は天候不良で濃霧の中やっと辿り着いたのですが、着いてみるとそこは嘘のようにすっかり青空でとても気持ちよく過ごした素敵な思い出の場所です
まるで桃源郷のようでした
そして、今回も天気予報は九州全体雨の予報(ーー;)雨具をしっかり準備して出発しました。熊本方面への道自体地震の影響も心配していましたが、、、なんとアンナプルナは晴天(*^^*)
 
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菊池渓谷からの道は通行止めのため、今回は黒川、小国から中津江のルートです。

といっても・・自分ではとうてい運転できそうにない細い山道を登ったかなりな山奥

運転上手なのりちゃんに感謝です

 

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周囲は見渡すかぎり緑の深い森

大自然に包まれて 思い切り深呼吸したくなります

 

かつてキャンプ場だったそうで

大きく立派なログハウスや民家も点在するかなりの広い場所です

廃村となったこの村を 「福島文庫」として被災した福島の子どもたちの保養場所にと

計画し修復作業を進めておられていました

・・・そこに熊本の大地震が起こってしまい、心配もしましたが・・・修復作業も再開され順調に進んでいる様を目にして安堵しました。

 

3日目のこの日はお祭り・マルシェ(東アジア市場)やステージなど

楽しいこといっぱい 笑顔もいっぱい

 

日本全国から さらに韓国や中国からもたくさんの方がたが集まってこられていて

優しさ溢れるアジアンワールド~♪

言葉はわからなくてもみんなの平和を願う思いが生み出す心地よい雰囲気に

幸せと感謝、希望と元気・・プラスのエネルギーをもらいました

 

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身体によさそうな 美味しいものもいっぱい!!

お昼にマコモづくしのシチュープレートをいただきました

ベジのビビンバも美味しそうだったなあ~

 

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若い人たち、こどもたちもたくさーん♪
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心から嬉しいここでの再会~の数々♪
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本当は14、15日に行われた「地球市民会議」に参加してみたかったのですが、

都合つかず残念でした

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日本、韓国、中国・・東アジアに暮らす隣人同士
これからの生き方や展望について
共感しあい とても実りある話し合いがされたようです
 
お隣の国と仲良くしていかなくてはね!!
 
 
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主催者 正木高志さんのメッセージが詰まった

新しい冊子 (100円です)

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午後に 韓国の僧侶の方の礼拝に参加しました

生命平和 百の礼拝。

ひとつひとつの誓いの言葉に合わせて 100回 立って 伏して 祈ります

どの宗教にも属さない
世界の平和を実現させるための方法が謳われています。

 

正木高志さんがシェアしてくれた100の礼拝をシェアします。

 

~生命平和 百拝 誓願~

真理が人生を自由にすることを心に銘じて、1番目の礼拝をします。...
絶えず自己省察を行うことが問題解決の一歩になることを信じて、2番目の礼拝をします。
生の根本を知らないで生きている自分の愚かさを顧みながら、3番目の礼拝をします。
人生を在るがままに生きていないことを省みながら、4番目の礼拝をします。
生命の危機、平和の危機という現代文明の現実を直視して、5番目の礼拝をします。
反生命・非人間的な矛盾と危険が自分の二元論的な世界観から生じていることを心に銘じて、6番目の礼拝をします。
所有はさらなる所有を生み、戦争はさらなる戦争を生むだけで、問題解決にはならないことを心に銘じて、7番目の礼拝をします。
金持ちになることや、一番になることが幸福であるという思いは、実現できない幻想に過ぎないことを思いながら、8番目の礼拝をします。
自分の役割を知らずに生きている無知を、恥ずかしく思いながら、9番目の礼拝をします。
あなたに頼らなければ私は存在できないという関係が生命平和の道であることを心に銘じて、10番目の礼拝をします。

生命という観点から自分自身を深く理解して、修習することが生命平和への道になることを心に銘じて、11番目の礼拝をします。
世の中の全ての痛みを自分の痛みとして受け入れることが生命平和への道であると心に銘じて12番目の礼拝をします。
隣人を自分自身のように愛するとき、本当に自分を愛することができるという真理を思い、13番目の礼拝をします。
自己の実相を見つめる省察だけが生命平和への道を開く、という思いを心に銘じながら、14番目の礼拝をします。
真理に従う生き方は、誰にでもわかりやすく、実現できるようでなければならないことを心に銘じつつ、15番目の礼拝をします。
存在の真実、生の真実を在りのままに見とおすことが生命平和への道になることを思い、16番目の礼拝をします。
耳をすまして自分の声と世の中の声を聞くことが生命平和への道になると心に銘じて、17番目の礼拝をします。
自分の生き方を改革することによって世界が改革されることを心に銘じながら、18番目の礼拝をします。
内にも外にも、正直でなく、まじめでもない、自分を反省して、19番目の礼拝をします。
世の中で最も大切な価値は生命平和であることを心に銘じて、20番目の礼拝をします。

言葉にとらわれず、存在そのものが言葉を規定する生き方のために、21番目の礼拝をします。
お金の奴隷にならない価値観と生き方のために、22番目の礼拝をします。
相対的な剥奪感に陥らない人生の哲学と信念のために、23番目の礼拝をします。
欲望が作り出した人為的な秩序を否定し、宇宙自然の秩序を重んずる生き方のために、24番目の礼拝をします。
生命の実相に即して説かれた真理の世界観である生命平和經の一番目の言葉を噛みしめながら、25番目の礼拝をします。

あれが在るからこれが在る、という宇宙生命の真理を思いながら、26番目の礼拝をします。
あれが無ければこれは無い、という宇宙生命の真理を思いながら、27番目の礼拝をします。
互いに依存し助け合いながら生成消滅する宇宙の秩序が永遠の真理であることを思いながら、28番目の礼拝をします。
網の目のように絡んで存在している生命の実相を思いながら、29番目の礼拝をします。
宇宙生命の実相は、一つの体、一つの生命、一つの共同体であると説く、生命平和經の二番目の文を吟味しながら、30番目の礼拝をします。

すべての生命は自然に頼って生きていく生命共同体であることを心に銘じながら、31番目の礼拝をします。
我が国は隣の国に頼って生きていく国家共同体であると心に銘じながら、32番目の礼拝をします。
我が宗教は隣の宗教に頼って活動している宗教共同体であると心に銘じながら、33番目の礼拝をします。
我が村は隣の村に頼って生きていくふるさと共同体であると心に銘じながら、34番目の礼拝をします。
我が家族は隣の家族に頼って生きていく家族共同体であると心に銘じながら、35番目の礼拝をします。
私はあなたに頼って生きていく共同体であることを心に銘じながら、36番目の礼拝をします。
すべての世の中の存在は頼りあって助け合って生きていく永遠の共同体であることを心に銘じながら、37番目の礼拝をします。
共同体の生命は頼り合い、助け合う真理の道を歩んではじめて幸福になることを心に銘じて、38番目の礼拝をします。
利己的に生きてきた人生を懺悔する生命平和經の三番目の文を吟味しながら、39番目の礼拝をします。
生命の根本である自然をむやみに扱ってきた、人間中心の利己的な生き方を懺悔して、40番目の礼拝をします。

我が国が頼りにすべき隣国の大切さを見落としてきた、自国中心の利己的な在り方を懺悔して、41番目の礼拝をします。
創始者の広げた真理の本来の意味に逆らい、他の宗教の尊さを無視してきた、自分の宗教中心の、排他的な生き方を懺悔しながら、42番目の礼拝をします。
自分の家族の頼りである隣人のありがたさに背をむけてきた、わが家中心の、利己的な生き方を懺悔しながら、43番目の礼拝をします。
自分の生命の頼りであるあなたの尊さに背をむけて、軽々しく扱ってきた自己中心の利己的な生き方を懺悔しながら、44番目の礼拝をします。
我が国、我が宗教、我が家族中心の、利己心で生きてきた歪んだ在り方を懺悔しながら、45番目の礼拝をします。

所有と力の論理、競争と支配の論理で生きてきた、歪んだ自己愛の生き方を懺悔しながら、46番目の礼拝をします。
すべての生命に仕えて仰ぐべきであるという、生命平和經の四番目の文を味わいながら、47番目の礼拝をします。
自然を神として仕えてはじめて、わが国が安全で幸せになるという真理の生き方を誓いながら、48番目の礼拝をします。
隣国をわが国の神として仕えてはじめて、わが国が安全で平和になるという真理にしたがって生きることを誓い、49番目の礼拝をします。
隣人の宗教をわが宗教の神として仕えてはじめて、わが宗教の真実が輝くという真理にしたがうことを誓って、50番目の礼拝をします。

わが家の神として隣人に仕えてはじめて家族が幸せになるという真理の生き方を誓いながら、51番目の礼拝をします。
出会う相手を自分の人生の神として仕えてはじめて、自分の人生が幸せになるという真理の生き方を誓いながら、52番目の礼拝をします。
生命の実相を見通し、満ち足りて生きることを誓う生命平和經の五番目の文を味わいながら、53番目の礼拝をします。
自然から搾取する、人間中心の利己的な貪欲を捨てるために、54番目の礼拝をします。
隣の国に不安感を引き起こすような、わが国中心の利己的な生き方を捨てるために、55番目の礼拝をします。
隣の宗教に不安感を引き起こすような、我が宗教中心の利己的な生き方を捨てるために、56番目の礼拝をします。
隣の家族に不安感を引き起こすような、わが家族中心の利己的な生き方を捨てるために、57番目の礼拝をします。
相手に苦痛を引き起こすような、自己中心の利己的な生き方を捨てるために、58番目の礼拝をします。
自然の個性と価値の貴さを尊重し、感謝して、60番目の礼拝をします。

隣の宗教の個性と価値の貴さを尊重し、感謝しながら、61番目の礼拝をします。
隣の家族の個性と価値の貴さを尊重し、感謝しながら、62番目の礼拝をします。
相手の個性と価値の尊さを尊重し、感謝しながら、63番目の礼拝をします。
すべての存在に仕える真理の道を、頼り合い助け合って生きることを確信して、64番目の礼拝をします。
頼り合い助け合う真理の道は、省察と誓願の生き方を通じて実現できることを確信して、65番目の礼拝をします。
真理を実践するための生命平和の誓いが、生活の指針であることを心に銘じながら、66番目の礼拝をします。
どんな理由があっても、心理的にも物理的にも暴力を振るわないという、一番目の生命平和の誓いを心に銘じて、67番目の礼拝をします。
すべての生命に引き起こした言語、肉体、性、真理、経済、社会的な暴力を懺悔して、68番目の礼拝をします。
自分の不正には寛大で、社会の不正に対してだけ怒ることを省みながら、69番目の礼拝をします。
いつでもどこでも、すべての人に対して、平和な心と態度で接することを誓って、70番目の礼拝をします。

すべての生命に友愛をもって向き合うという、二番目の生命平和の誓いを心に銘じながら、71番目の礼拝をします。
差別と偏見なしに生命の尊厳を尊重し、守ることを心に銘じて、72番目の礼拝をします。
自分のうちの不正と社会の不正を振り落とすため、謙虚に真剣に生きることを心に銘じて、73番目の礼拝をします。
いかなる偏見も暴力も、きっぱりと拒むことを心に銘じて、74番目の礼拝をします。
相手を理解し尊重し配慮するだけで自分の人生がもっと輝くという真理を心に銘じて、75番目の礼拝をします。
対話し傾聴する姿勢を保つという、三番目の生命平和の誓いを心に銘じながら、76番目の礼拝をします。
見方が違うからといって相手を憎み、自分の見方だけが正しいという考えが暴力のはじまりになることを思いながら、77番目の礼拝をします。
歴史の真実を明らかに見て記憶しつつも、つねに過去から自由であることを心に銘じて、78番目の礼拝をします。
あらゆることに対して忍耐と寛容の精神で接し、すべての問題を率直で謙虚な対話で解決することを深く想いながら、79番目の礼拝をします。
すべての人の表現の自由と文化の多様性を護ることを、心に深く思いながら、80番目の礼拝をします。

分かち合うことを積極的に実践し、素朴な生き方をするという生命平和の四番目の誓いを心に銘じながら、81番目の礼拝をします。
少し所有し、少し消費する、単純素朴な生活が、持続可能な進歩であることを確信しながら、82番目の礼拝をします。
相手に仕え、相手を生かす姿勢で、自己の人生を鍛えることを誓って、83番目の礼拝をします。
自分の生活の場から生命平和の町を作ることを誓って、84番目の礼拝をします。
一切の生命の拠り所を保存するという、生命平和の誓いを心に銘じながら、85番目の礼拝をします。
自らの衣食住の生活によって生態系が病んだことを懺悔しながら、86番目の礼拝をします。
自然、農村、農業を根本価値として生きることが、自分とすべての生命のために生きることになると確信して、87番目の礼拝をします。
生態系を保存し、生命の循環秩序を守る責任を果たすことを誓って、88番目の礼拝をします。
韓半島の平和を守り、実現する道の先頭に立つという、生命平和の六番目の誓いを心に銘じて、89番目の礼拝をします。
平和は、真実と愛の実践である非暴力によって成し遂げられるという真理を心に銘じて、90番目の礼拝をします。

韓半島の戦争を防ぎ、平和のために、非暴力的実践に力を尽くすことを心に誓って、91番目の礼拝をします。
人生を不幸にするいかなる権威、制度、習慣、暴力に対して、非暴力で抵抗することを誓って、92番目の礼拝をします。
絶えず覚めて学習するという、生命平和の七番目の誓いを心に銘じて、93番目の礼拝をします。
自分の中の平和を悟る学習と修養を粘り強く行うことが、世界の平和を成しとげる道になると心に銘じながら、94番目の礼拝をします。
まず自からを浄め、癒すことが、世界平和への道になることを心に銘じて、95番目の礼拝をします。
非暴力的なふるまい、言葉、心遣いが世界平和を成し遂げる第一歩であることを心に銘じて、96番目の礼拝をします。
自分自身が生命平和の灯であることを宣言する、八番目の生命平和の誓いを心に銘じながら、97番目の礼拝をします。
自分の灯した生命平和の灯が社会を明るくすることを願って、98番目の礼拝をします。
みんなが灯となり、互いに照らしあう生命平和の世になることを願って、99番目の礼拝をします。
自分の灯した生命平和の灯で、すべての生命が平和で幸せになることを願って、100番目の礼拝をします。

 

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(途中立ち寄った小国の坂本善三美術館にて)