今日で息子が20歳を迎えた
東京でどんな暮らしをしているのやら?
朝は起きれているのだろうか
何を食べているのか
大学には通っているのか
元気でやっているのだろうか
友だちはできたかしら
細々したことまで心配はつきないが・・・
自分の道は自分で切り開いていくしかない
これからの人生に素敵な出逢いがたくさんありますようにと
母は祈る
・・・・子育てはつくづく難しいと実感の日々
こんな投稿を目にしたので転載します
<太田 隆文監督より>
子供たちのことを愛しているのに、考える力を奪うロボット工場に送りこむ親たちの物語。
「今時、こんな受験、受験という母親なんていませんよ!」あるテレビ局のディレクターをしている友人に言われた。それは僕が監督した映画に描いた主人公の母親のこと。娘に「勉強しなさい」「いい大学に行かないと!」とうるさくいう存在。友人はこう感じたらしい。
「昔は受験戦争と言われ、こんなタイプの母親がたくさんいたのは知っているが、今の時代、一流大学を出て、一流企業に入ったからと安泰という時代ではない。倒産したり、リストラされたりする。そんな可能性が強いのに、ただ、勉強して、いい大学に行けというバカな母親はもういないんじゃないですか?」
だが、そうではない。シナリオを書く前に受験生を持つ母親、高校の先生に何人も取材をして、ひとつの高校だけではなく、複数の学校の教師に話を訊いて現状を確認してある。「一流大学!」という母親は現在も数多く存在するのだ。先生方に聞いても親からの要望の一番は「いい大学に合格すること」だという。だからこそ、受験シーズンが終わると私立高校は***大学に**人、合格と書いた紙を張り出したりするのだ。
つまり、学校が一流大学を目指せと煽るというより、親たち、特に母親が子供を一流大学に入れたいという希望が多いとのこと。少子化で生徒を集めるのが大変な学校はその希望に応えることで、生徒を集め学校を存続させようとするというのが現代の構図なのだ。
しかし、友人のディレクターがいうように、今や一流大学を卒業して一流企業に就職してもリストラされたり、倒産したりすることがある。昔のように終身雇用、年功序列ではなくなってきている。にも関わらず、相も変わらず、一流神話を信じて我が子を勉強させる親たちは何を考えているのか?
具体的に考えよう。僕の高校時代はまさに「受験地獄」といわれた頃。でも、その頃は一流神話が生きていた。親たちは戦後育ちで、日本がまだ貧しい時代を生き、結婚し、子供を生み、育てて来た。不安がいっぱいある中、子供たちの将来を案じ、確実に生活できる、安泰な仕事を望んだ。
それに対して、今、受験生を抱える親たちは、そんな受験地獄を生き抜き、社会に出て結婚、子供を作った人たち。考えてみると、僕と同世代である。それならば、親から「勉強、勉強」と言われて、辛かった高校時代を思い出し、そんな思いを我が子にさせたくないと思わないのか疑問になった。
学生時代から親しくしており、今は一時の父となった友人に聞いた。彼も高校時代は「勉強は嫌だ」「親はうるさい」「大学なんて行きたくない」といって本当に大学受験を拒否した奴だ。その彼が今、子供に何を伝えているか? 聞いてみた。
「とりあえず、勉強しろといってるよ....」
あれほど、勉強が嫌だ。無意味だといっていた友人がなぜ、そんなことを子供にいうのか?
「だって、他に何を言えばいいんだよ。何をしたから生涯安泰なんてことはもうないんだよ。だから、とりあえず、勉強しろとしかいうことがないんだ...」
何とも悲しい話だ。大学に行き。大手企業に子供が就職したとしても昔のように安定した生活が送れないことを理解しているのだ。なのに「勉強しろ」としか言えない。別の親に訊いた。僕と同世代の母親だ。
「何だかかんだいっても、やっぱり大手企業に入るのが一番。二流三流の会社はいつ倒産するか分からない。だからこそ、一流大学に入り、一流企業に就職することが大事なんですよ」
何だか気持ち悪いものがこみ上げて来た。バブル以降。一流企業だって倒産している。リストラも行われている。世界のSONYといわれたあの会社ですら、赤字経営で苦しんでいる。なのに、その母親は一流神話にしがみついているのだ。言い換えれば、多くの船が荒波で沈没しかかっているけど、少しでも大きな船に乗れば、我が子は助かる....と言ってるようなものだ。
いずれの親も大きな勘違いをしていると思える。ここしばらく書いて来たことだが、日本の教育というのは、ソフトバンクの孫社長も指摘するように、「暗記7割、考える勉強は3割」というもの。なぜ、暗記が多いかというと、高度経済成長の中で、余計なことを考えず、上からの命令に逆らわず、確実に仕事をこなす、歯車のようなサラリーマンを育てるためのシステムである。
昔はそれでよかった。でも、考えることが苦手なロボット人間は指導者が優秀であって初めて意味がある。それが時代が変わり、日本企業の指導者たちは今の時代を乗り切れずに苦しんでいるのだ。そんな会社にいると、一番に切られ、捨てられるのはロボット人間である。会社に見放されて、誰も命令してくれる人がいなくなったロボット人間はどうすればいいのか?
その前に、ロボット人間の教育を受ける前に、この厳しい時代を生き残るための術を子供たちに伝えることこそが親の使命ではないか? 孫社長はいう「考える教育を7割にしないと、日本は金輪際、アジアの企業に勝てない」その通りだろう。
しかし、日本の教育は今も「暗記」中心で、ロボット人間を作るためのもの。親たちは子供のたちの幸せを願って、そんなロボット人間ー与えられたことをするだけで考える力のないーに我が子をするための学校に行かせ、優秀な成績を取らせようとしている。それは「考えるのをやめて、与えられたことを確実にする」大人に育てているのと同じ。
そんな大人がこれからの21世紀を生き抜いて行けるだろうか? 戦国時代は武術に優れたものが取り立てられた。が、時代が安定すると、その種の者は無用の長物となった。同じように高度経済成長からバブルまでは、ロボット人間が大量に必要だった。
でも、今の時代は違う。「考える力」なくしては生き残れない。つまり、親たちは、戦国の世が終わったのに、今もなお「武士は強くなくては!」といって、「体を鍛えろ、剣術を学べ」と子供たちに強要しているようなものだ。
では、その親たち。何でそんな愚かなことを続けるのか? 彼女らこそが「暗記」7割。与えられたことを疑わずに、確実にこなす教育を受けて来た世代だからだ。
親たちも「考える力」がない。上から与えられた価値観。「一流大学」「一流企業」というのを盲目に信じて、今やその価値が失われているのに、疑うこともせず、安定と幸福と信じ、子供たちを無意味な受験戦争に送り込んでいるのである。
考える力がない親たちは、今の教育がすでに意味をなさないことが分からない。今、子供たちがせねばならないのは「考える」教育のはず。与えられたことをこなすだけでなく、自分で考え、自分で行動する。
時代はどこへ向かおうとしているのか? 何が必要とされているのか? そのためには何をするべきか? それは学校では教えてくれない。それに親たちが気づかなければ、子供たちは間違った道を突き進んでしまうだろう。(太田 隆文)
東京渋谷での学生デモの学生さん達が素晴らしいです
==SASPL - 特定秘密保護法に反対する学生有志の会==
【10・25 スピーチ その4】
去年の12月6日。特定秘密保護法が国会で可決されました。
世論では8割以上の人たちが修正もしくは廃案、を求めましたが、僕たちの代表は、夜の闇にまぎれて、この法を成立させました。
あの日の怒りと悲しみを、僕たちは決して忘れません。彼らは私たち一人一人の声を無視し、踏みにじりました。
あの日から、僕たちはデモやシンポジウムなどを企画して、この法の問題点を社会に訴えてきました。
しかし、僕たちが声をあげれば上げる程、同時にそれを揶揄する人々も現れました。
「恰好だけ気にして中身を伴っていない」「法が施行される今、デモをする意味なんてあるのか」「どうせ社会は変わらない」。こんな風に言われ続けてきました。
しかし、まず変わるべきは自分であり、僕たち自身の様です。僕たちは、しようもない非難や攻撃を、一旦は引き受けることにしました。
そのしがらみの中で耐え、それを引き受ける人間がいるということ。
それが、僕たちの社会の健全さを保ち、民主主義を担保するものだと思ったからです。
僕たちは、他人の意見や時代の空気に流されずに、自分の頭で考える道を選びました。
民主主義というものは、国会議事堂というあの厳かな建物の中にしまってあるのでもありません。
整然とした様々な制度の中に埋もれているのでもありません。
デモクラシーとは、私たち一人ひとりが自由に考え、判断し、行動する、その力のことです。
僕たちは、未来の社会の担い手であり、未来の民主主義そのものです。
僕たちがこれまで、大きく社会を変えられたかはわからない。けれど、この一年間、あの日の怒りと悲しみが、僕たちを大きく変えました。
そうして変わった僕たちがまた新しい社会をこれから作っていきます。
それを、誰も止めることはできません。
今年が豊作がどうかわからないけれど、僕らは今日種を植えます。
淡々と日々の仕事をこなす農夫のように、僕たちは今日種を植えます。
これは非日常などではなく、僕たちの日常そのものです。
楽観も悲観もなく、今日一日の仕事を始めましょう。
僕たちの仕事を始めましょう。
何度でも繰り返しましょう。僕らは決して諦めません。決して忘れません。決して終わりません。
これが最後の言葉ではなく、僕らはまた一歩を踏み出します。
弛みなく、揺るぎなく、今日また一歩を踏み出します。
2014年10月25日本間信和
僕は、特定秘密保護法に反対します。
私はマハトマ・ガンジーのこの言葉が好きです
明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。
Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.
はたちの君へ
東京でどんな暮らしをしているのやら?
朝は起きれているのだろうか
何を食べているのか
大学には通っているのか
元気でやっているのだろうか
友だちはできたかしら
細々したことまで心配はつきないが・・・
自分の道は自分で切り開いていくしかない
これからの人生に素敵な出逢いがたくさんありますようにと
母は祈る
・・・・子育てはつくづく難しいと実感の日々
こんな投稿を目にしたので転載します
<太田 隆文監督より>
子供たちのことを愛しているのに、考える力を奪うロボット工場に送りこむ親たちの物語。
「今時、こんな受験、受験という母親なんていませんよ!」あるテレビ局のディレクターをしている友人に言われた。それは僕が監督した映画に描いた主人公の母親のこと。娘に「勉強しなさい」「いい大学に行かないと!」とうるさくいう存在。友人はこう感じたらしい。
「昔は受験戦争と言われ、こんなタイプの母親がたくさんいたのは知っているが、今の時代、一流大学を出て、一流企業に入ったからと安泰という時代ではない。倒産したり、リストラされたりする。そんな可能性が強いのに、ただ、勉強して、いい大学に行けというバカな母親はもういないんじゃないですか?」
だが、そうではない。シナリオを書く前に受験生を持つ母親、高校の先生に何人も取材をして、ひとつの高校だけではなく、複数の学校の教師に話を訊いて現状を確認してある。「一流大学!」という母親は現在も数多く存在するのだ。先生方に聞いても親からの要望の一番は「いい大学に合格すること」だという。だからこそ、受験シーズンが終わると私立高校は***大学に**人、合格と書いた紙を張り出したりするのだ。
つまり、学校が一流大学を目指せと煽るというより、親たち、特に母親が子供を一流大学に入れたいという希望が多いとのこと。少子化で生徒を集めるのが大変な学校はその希望に応えることで、生徒を集め学校を存続させようとするというのが現代の構図なのだ。
しかし、友人のディレクターがいうように、今や一流大学を卒業して一流企業に就職してもリストラされたり、倒産したりすることがある。昔のように終身雇用、年功序列ではなくなってきている。にも関わらず、相も変わらず、一流神話を信じて我が子を勉強させる親たちは何を考えているのか?
具体的に考えよう。僕の高校時代はまさに「受験地獄」といわれた頃。でも、その頃は一流神話が生きていた。親たちは戦後育ちで、日本がまだ貧しい時代を生き、結婚し、子供を生み、育てて来た。不安がいっぱいある中、子供たちの将来を案じ、確実に生活できる、安泰な仕事を望んだ。
それに対して、今、受験生を抱える親たちは、そんな受験地獄を生き抜き、社会に出て結婚、子供を作った人たち。考えてみると、僕と同世代である。それならば、親から「勉強、勉強」と言われて、辛かった高校時代を思い出し、そんな思いを我が子にさせたくないと思わないのか疑問になった。
学生時代から親しくしており、今は一時の父となった友人に聞いた。彼も高校時代は「勉強は嫌だ」「親はうるさい」「大学なんて行きたくない」といって本当に大学受験を拒否した奴だ。その彼が今、子供に何を伝えているか? 聞いてみた。
「とりあえず、勉強しろといってるよ....」
あれほど、勉強が嫌だ。無意味だといっていた友人がなぜ、そんなことを子供にいうのか?
「だって、他に何を言えばいいんだよ。何をしたから生涯安泰なんてことはもうないんだよ。だから、とりあえず、勉強しろとしかいうことがないんだ...」
何とも悲しい話だ。大学に行き。大手企業に子供が就職したとしても昔のように安定した生活が送れないことを理解しているのだ。なのに「勉強しろ」としか言えない。別の親に訊いた。僕と同世代の母親だ。
「何だかかんだいっても、やっぱり大手企業に入るのが一番。二流三流の会社はいつ倒産するか分からない。だからこそ、一流大学に入り、一流企業に就職することが大事なんですよ」
何だか気持ち悪いものがこみ上げて来た。バブル以降。一流企業だって倒産している。リストラも行われている。世界のSONYといわれたあの会社ですら、赤字経営で苦しんでいる。なのに、その母親は一流神話にしがみついているのだ。言い換えれば、多くの船が荒波で沈没しかかっているけど、少しでも大きな船に乗れば、我が子は助かる....と言ってるようなものだ。
いずれの親も大きな勘違いをしていると思える。ここしばらく書いて来たことだが、日本の教育というのは、ソフトバンクの孫社長も指摘するように、「暗記7割、考える勉強は3割」というもの。なぜ、暗記が多いかというと、高度経済成長の中で、余計なことを考えず、上からの命令に逆らわず、確実に仕事をこなす、歯車のようなサラリーマンを育てるためのシステムである。
昔はそれでよかった。でも、考えることが苦手なロボット人間は指導者が優秀であって初めて意味がある。それが時代が変わり、日本企業の指導者たちは今の時代を乗り切れずに苦しんでいるのだ。そんな会社にいると、一番に切られ、捨てられるのはロボット人間である。会社に見放されて、誰も命令してくれる人がいなくなったロボット人間はどうすればいいのか?
その前に、ロボット人間の教育を受ける前に、この厳しい時代を生き残るための術を子供たちに伝えることこそが親の使命ではないか? 孫社長はいう「考える教育を7割にしないと、日本は金輪際、アジアの企業に勝てない」その通りだろう。
しかし、日本の教育は今も「暗記」中心で、ロボット人間を作るためのもの。親たちは子供のたちの幸せを願って、そんなロボット人間ー与えられたことをするだけで考える力のないーに我が子をするための学校に行かせ、優秀な成績を取らせようとしている。それは「考えるのをやめて、与えられたことを確実にする」大人に育てているのと同じ。
そんな大人がこれからの21世紀を生き抜いて行けるだろうか? 戦国時代は武術に優れたものが取り立てられた。が、時代が安定すると、その種の者は無用の長物となった。同じように高度経済成長からバブルまでは、ロボット人間が大量に必要だった。
でも、今の時代は違う。「考える力」なくしては生き残れない。つまり、親たちは、戦国の世が終わったのに、今もなお「武士は強くなくては!」といって、「体を鍛えろ、剣術を学べ」と子供たちに強要しているようなものだ。
では、その親たち。何でそんな愚かなことを続けるのか? 彼女らこそが「暗記」7割。与えられたことを疑わずに、確実にこなす教育を受けて来た世代だからだ。
親たちも「考える力」がない。上から与えられた価値観。「一流大学」「一流企業」というのを盲目に信じて、今やその価値が失われているのに、疑うこともせず、安定と幸福と信じ、子供たちを無意味な受験戦争に送り込んでいるのである。
考える力がない親たちは、今の教育がすでに意味をなさないことが分からない。今、子供たちがせねばならないのは「考える」教育のはず。与えられたことをこなすだけでなく、自分で考え、自分で行動する。
時代はどこへ向かおうとしているのか? 何が必要とされているのか? そのためには何をするべきか? それは学校では教えてくれない。それに親たちが気づかなければ、子供たちは間違った道を突き進んでしまうだろう。(太田 隆文)
東京渋谷での学生デモの学生さん達が素晴らしいです
==SASPL - 特定秘密保護法に反対する学生有志の会==
【10・25 スピーチ その4】
去年の12月6日。特定秘密保護法が国会で可決されました。
世論では8割以上の人たちが修正もしくは廃案、を求めましたが、僕たちの代表は、夜の闇にまぎれて、この法を成立させました。
あの日の怒りと悲しみを、僕たちは決して忘れません。彼らは私たち一人一人の声を無視し、踏みにじりました。
あの日から、僕たちはデモやシンポジウムなどを企画して、この法の問題点を社会に訴えてきました。
しかし、僕たちが声をあげれば上げる程、同時にそれを揶揄する人々も現れました。
「恰好だけ気にして中身を伴っていない」「法が施行される今、デモをする意味なんてあるのか」「どうせ社会は変わらない」。こんな風に言われ続けてきました。
しかし、まず変わるべきは自分であり、僕たち自身の様です。僕たちは、しようもない非難や攻撃を、一旦は引き受けることにしました。
そのしがらみの中で耐え、それを引き受ける人間がいるということ。
それが、僕たちの社会の健全さを保ち、民主主義を担保するものだと思ったからです。
僕たちは、他人の意見や時代の空気に流されずに、自分の頭で考える道を選びました。
民主主義というものは、国会議事堂というあの厳かな建物の中にしまってあるのでもありません。
整然とした様々な制度の中に埋もれているのでもありません。
デモクラシーとは、私たち一人ひとりが自由に考え、判断し、行動する、その力のことです。
僕たちは、未来の社会の担い手であり、未来の民主主義そのものです。
僕たちがこれまで、大きく社会を変えられたかはわからない。けれど、この一年間、あの日の怒りと悲しみが、僕たちを大きく変えました。
そうして変わった僕たちがまた新しい社会をこれから作っていきます。
それを、誰も止めることはできません。
今年が豊作がどうかわからないけれど、僕らは今日種を植えます。
淡々と日々の仕事をこなす農夫のように、僕たちは今日種を植えます。
これは非日常などではなく、僕たちの日常そのものです。
楽観も悲観もなく、今日一日の仕事を始めましょう。
僕たちの仕事を始めましょう。
何度でも繰り返しましょう。僕らは決して諦めません。決して忘れません。決して終わりません。
これが最後の言葉ではなく、僕らはまた一歩を踏み出します。
弛みなく、揺るぎなく、今日また一歩を踏み出します。
2014年10月25日本間信和
僕は、特定秘密保護法に反対します。
私はマハトマ・ガンジーのこの言葉が好きです
明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。
Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.
はたちの君へ