「タントラについて和尚Oshoの言葉から その2」
タントラ・セックスとはなにか
タントラは自然に神に至る道
無理をせず神に至る道だ
究極の自然と溶け合うために
完全に本能的になること
無心になることが目標だ
女性は消えうせて
究極なるものへの扉となり
男性は消えうせて
究極なるものへの扉となる
タントラは
人間のセクシュアリティを定義して言う
それは絶対的な無垢
絶対的な『ひとつ』への回帰だ、と
最良の性的な興奮とは
興奮を探し求めることなく
ただ静かに待つことだ
完全にリラックスして
まったく無心になって
人は意識的になる
意識的であるために
意識的になる
人は意識そのものだ
人は満ち足りているが
なにかに満たされているのではない
そんなとき
そこにはすばらしい美が
すばらしい祝福がある
質問者は尋ねている
『タントラ・セックスとはなんですか
特定の技法に基づく
瞑想的なセックスでしょうか?』
テクニック志向になりすぎたら
あなたはタントラの神秘を見逃してしまう
技法に基づくのは偽のタントラだ
というのも
技法があるかぎり
そこにはエゴがあって
コントロールしているからだ
そのとき、あなたがそれをやっている
そして『する』ことが問題だ
『する』ことは行為者を生む
タントラは無為でなければならない
それは技法的なものではけっしてない
技法なら学ぶことができる
性交が長引くように
特定の呼吸法を習うことができる
とてもゆっくり呼吸したら
急がないで呼吸したら
性交は長引くが
あなたはコントロールしている
それは野生的ではない
無邪気なものではない
また瞑想的でもない
それは心(マインド)のものだ
どうしてそれが瞑想になる?
心がコントロールしている
あなたは早く呼吸することさえできない
呼吸をゆっくりに保たなければならない
呼吸がゆっくりだったら
射精には時間がかかる
なぜなら
射精が起きるには呼吸が早く
乱れたものにならなければいけないからだ
とはいえ
これはテクニックであってタントラではない
タントラはテクニックではなくて祈りだ
それは頭脳志向ではなくて
ハートへのリラクセーションだ
それを覚えておきなさい
タントラについて多くの本が書かれてきた
それらはみんなテクニックについて語っているが
ほんとうのタントラは
テクニックとはなんの関係もない
ほんとうのタントラは書くことができない
ほんとうのタントラは身につけなければならない
ほんとうのタントラをどうやって身につけるか?
あなたは自分のアプローチ全体を
変容させなければいけない
セックスのことなどなにも考えずに
女性とともに祈り
女性とともに歌い
女性とともに戯れ
女性とともに踊りなさい
『いつベッドに行こうか?』
なんて考えていてはいけない
そのことは忘れなさい
ほかのことをやり
それに夢中になりなさい
その夢中になる状態のなかから
ある日、愛が起こってくるだろう
突如、あなた方は見るだろう
自分たちは愛を交わしているが
それをやっているのは自分ではない
それは起こっている
あなたはそれに取りつかれている
そのとき
あなたは初めてタントラを経験する
あなたよりも大きなものに占有されている
あなた方はダンスしていたかもしれない
いっしょに歌っていたかもしれない
いっしょに詠唱していたかもしれない
いっしょに祈っていたかもしれない
いっしょに瞑想していたかもしれない
そこで突然
自分たち二人が新たなスペースに
入っていることに気がつく
そしていつの間にか知らないうちに
セックスを始めていた
そのことを覚えてもいない
そのときあなたは
タントラのエネルギーに占有されている
そこで初めて
あなたはテクニックではない経験とはなにかを知る
インドの神秘家
和尚Osho,講和集
This Very Body the Buddha, Vol. 1, Talk #8 より抜粋