温故知新で映画を学ぶ | 新人ライター奮闘記

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自分は今、制作会社に企画要因、プロットライターとして参加しています。

ブログには、プロデューサーとの打ち合わせや企画書の書き方についても書いていきたいと思います。


また、「文章の書き方」、「企画の見つけ方」なども書いて行きたいと思います

皆さんは学生の頃、何をしていただろうか?


勉強に集中していたなんて人は、ごく僅かで、ほとんどの人が遊んでいたというのではないでしょうか?


何を隠そう(べつに、隠さなくていいけど、笑)、僕もその一人です。


ただし、遊んでいたと言っても、他の方とは、おそらく遊び方が違います。


皆さん、だいたい、合コンしたり、どっかに旅行に行ったりしてたんじゃないですか?


僕は違うんです、僕はですね、ひたすら映画を観ていました(笑)


日本映画学校(現在は、大学)に、入学し、一年生の時は、実習をする毎日でした。しかし、2年生になると、「とにかく、映画をたくさん観なさい」という講師の方と知り会い、その方の影響で本当にたくさんの映画を観る事になったんです。


そこから、日本にある、ありとあらゆる映画館に行きました。


フィルムセンター、アテネフランセ、新文芸座、ユーロスペース、イメージフォーラム。


今、日本は、世界で一番、クラシック映画がフィルムで観れる国と言ってもいいと思うぐらい、世界の名作、映画を観る事が出来たんです。


「市民ケーン」も「第三の男」も、ブレッソンの「バルタザールどこへ行く」も、ゴダールの「勝手にしやがれ」も、トリュフォーの「大人はわかってくれない」も、すべてフィルムで観る事が出来た。


これは、本当に幸福な事だったと今でも思います。


また、前に書いた講師の方の影響で、映画の歴史約100年を勉強するという事もしました。つまり、サイレント映画のグリフィスから当時、放映されていた「マトリックス」まで、映画はどんなふうに進化して行ったかを理解して行くという事なんです。


これも、本当に勉強になった。とくに、映画の父と言われる、グリフィスの作品は、今観ても泣けて来るんです。かつて、フランスの映画監督、トリュフォーが、「グリフィスを観れば、現在のアメリカ映画はすべて解かる」という名言を残しています。


あれは事実です(笑)、最初は笑わして、ラスト近くになると、ハラハラドキドキさせて、最後にジーンとなって、泣けて来る。あの娯楽映画のパターンを作り上げたのは、やはりグリフィスだったんですね。


チャップリンよりも前に、早くもグリフィスが完成させていたというわけなんです。


グリフィスが完成させた娯楽映画のパターンを、チャップリンが受け継いで行く。さらに、キートン、ロイドが自分なりの喜劇を追い求めて行く。


そして、時代が変わり、ホークス監督やヒッチコック監督、ジョンフォード監督やルビッチ監督などが現れて、グリフィスから学んだ事を活かしながら、自分なりの作風を作り上げて行ったのです。


このように、ハリウッド映画の歴史を紐解いてみると、温故知新という言葉がよく似合う事に気がつきます。


誰しもゼロから作品を作る事は出来ません。


ある歌舞伎役者がこんな言葉を残しています。


「型を知りつくして型を破るのは型破り、型も知らずに勝手に思うままにすると型なしだ」


この言葉よく解かります。先輩達が作ってきた型というものをよく理解し、型破りなオリジナル作品を書いて行きたいと思います。