「生きる意味はあるか?」、僕は時々、そんな事を考えてしまう時がある。
学生の頃から、そんな事を考えてしまうネクラな男だったので(笑)、昔から哲学というものに興味を持っていました。
と言うよりも、哲学という学問は、「生きる意味」について、論じるために生まれた学問であると言ってもいいと思います。
その中で、誰よりも解かりやすく、そして、真正面から、「生きる意味」について、考えた哲学者がいます。
それは、「夜と霧」で有名な、V・E・フランクルという人です。
彼は、若い頃、ナチスの強制収容所の中に入って、毎日を過ごし、「それでも人生には意味がある」と言い切った人です。
ただ、奴隷のように働かされる毎日なのに、なぜ彼は人生には意味があると言えたのだろうか?僕は、その事に興味を持ち、フランクルの本を読み始めました。
彼の本は、刺激的でした。自分の幼い価値観を変えてくれるような気がしました。
たとえば、こんな言葉が書いてありました。
「幸せは目標ではなく、結果にすぎない」
えっ?と思いますよね?(笑)、だって、どんな人だって、幸せになる事を願って仕事をしているはずですもんね?でも、フランクルに言わせると、それは、不幸になる原因なんですって?
彼は言っています。「人生には、喜びもありますが、喜びそのものを欲する事は出来ません。帰結が出て来るように、おのずと湧くものなのです」
なるほど、深い。深いけど、俺には、それは無理かも?と思いました(笑)。
でも、フランクルの本って、そんな言葉がたくさん出て来ます。
「人間は楽しみのために生きているのではない」、「苦悩で意味のある人生を実現する」。う~ん、難しいですね?楽しみのために生きるなって、言われても、求めちゃいますよね?(笑)
フランクルの言いたい事って、言葉だけを聞くとよく解からないんですけど、彼の本を読んで行くと、核心に触れる事が出来ます。
彼は読者に、「生きる意味とはなんだ?」と、問い掛ける事、そのものが間違いだと言うのです。つまり、彼は、生きる意味を問われているのは、あなた自身なのだと言っているのです。
つまり、質問されているのは、「あなた」であり、「我々」なんだと彼は言いたいんですね?そして、生きるって事は、人生という大きな存在が出して来た、問い掛けに答えて行く事なんだと言っているのです。
「人生それ自体が何かであるのではなく、人生は何かをする機会である!」
生前、フランクルが講演で、よく話していた言葉です。パッと見ると、いい言葉だなと思いますが、実は、とても厳しい言葉です。
だって、逆に、何もしなければ、意味の無い人生になっちゃいますよ?と言っているようなものですからね?(笑)。
今日は、たまたまフランクルの本を読み返していたので、こんな事を書いてみました。
フランクルの言っている事は、きっと「宗教学」にも通じる事なのかもしれませんね?