10月 23日 2020年

前回の続きから。
父の仕事自慢から、ぐる〜っと、
避難指定区域だったところ(浪江町、双葉町、間違えてたらすみません)
現在は、もう帰ってこられるのだけれど、殆どがわたしが住みたい(←染みついた貧乏性)、立派で風情のある日本家屋や綺麗なお家なのに、まだやはり空き家が多く、
たまに、暮らしている家を見つけると、本能だろうか、
ほッとした。







帰ってきた漁港、

作り直されてゆく町に、
一番多く住んでいたのは、
ソーラーパネルの群集と、
赤ちゃんの松の木達だった。


ソーラーパネル達



まるで保育器の生まれたての赤ちゃん達のような
松の木のベイビー ちゃん達。


浪江町にバイバイした後は、
いったん父宅に戻り、しばしの休憩。

神戸には新幹線で帰るつもりだったが、
どうせ東京でわたしに会ってくれる人も皆無だったため、
父が、
父は:「荷物いっぱい有るろ、帰り、あれやったら仙台空港までお父さん送って、杏里ちゃん(わたし)、飛行機で帰ってもかまんで」
と、いうので、
ラッキー!と、わたしは、早速、仙台空港に電話し、
スカイマークで、10/26 (月)の、午後の便を予約した。
Loppiで、チケット代を支払うので、
ついでに、父にAmazonでの支払いの仕方を教えることになった。

父はまだ、昼過ぎだというのに、方向音痴で疲れ切っており、
父のアパートから、車で6分の博物館の存在を父は全く知らず、
父:「杏ちゃん(ワテ)の行きたいところは、やっぱり行かんでええか~?」
と言うので、
わたし:「うん、別にええよ~。」
と言うと、
気づけば父は、座椅子でイビキをかいて寝ていた。

わたしはどこでも誰でも、わたしと居ると、
居眠りをこき始める
という、
自分(わたし)は不眠症のくせに、
めちゃくちゃ他者を眠らせてしまう
声なのか、存在感なのか、なんか出てるのか。?

そして、居眠りを始めた人を起こす事が出来ないわたしは、
なんとな〜く 点いているテレビを見て、
小一時間経った頃、
父が目覚め、
父:「お父さん、寝よった?」
と。
わたしは本当に、人をうっかり眠らせるのが上手いというか、上手い、ではないか、。と思いつつ
私:「疲れちょうやろ?寝よってええよ。」
と言うと、
父:「ちょっと寝たら頭スッキリしたし、博物館、行ってみるか。」
と、言うので、
行くことになった。

南相馬市は高知や、神戸と違って、山並みが遠く、更に山の向こうの雲の向こうにも山並みがあった。

最初に南相馬市に着いて父の車内から見渡した景色から、
なんか、馬に乗って合戦してそう〜・・
とは思っていたが、
(わたしは歴史、とくに近代史以前の歴史にまぁまぁ無頓着)
本当にそうらしい。
その土地の地名、漢字からも連想はできるのは大いにあるが、
いかにも馬に乗って合戦してそやなぁ〜
と思っていた。

例の如く、父はものすごい近所なのに、道に迷い倒し、
私:「まぁ、辿り着かんかったら別にええよ?」
と言うと、
父:「ナビでは到着しちょるがやけんどねぇ、、こりゃわからんなあ!笑」
私:「じゃあ、そこの道通って、帰り道に無かったらそのまま帰ろ?」
と言うと、
父:「そうするかぁ〜」
と、あっさり諦めたところで、
突然こじんまりした建物を発見。
小さな駐車場に入ってみると、そこが目的地であった。
私:「おぉー!!やったやん!」
と言うと
父:「ヤッタね!でも、こんなところんあったんか〜、お父さん全然知ららった。」
と、福島県へ来て8年、最初は、福島市にいて、2〜3年前から南相馬市へ住んでいる父の、猫並みの行動範囲(※ わたしもそうです。はい。)
を明らかにした。

散歩コースに持って来いな、程よい自然と、風情ある敷地内に、小さな博物館があった。





中に入ってみると、お客は我々だけ。

展覧会 会場へ向かうと、その手前に、馬が。
馬に乗って、合戦している人の実寸模型がバーーン

やっぱり。合戦してたんや〜、、

と、
思っても見なかった、興味深い展示物に
見惚れていると、
館内の
「これより、南相馬市の歴史を上映いたします。」
と、アナウンスが流れ、
父:「杏ちゃん、行って観よ。」
と、わたしよりも、絶対 テンション爆上がりの父は、
嬉しそうに館内の小さな映画館に入り、
勿論、我々2人の貸し切りで、
30分〜1時間ほどの、
南相馬市 原町の、歴史、伝統、祭り、風土、行事、を紹介するムービーを観た。
すごく面白くて、
特に、野馬追い(のまおい)の祭りの3日目がオモシロく、
昔は野生の馬をひっ捕まえて、
聖水をかけ、清めて飼い慣らす
という儀式を、文化、伝統として、若い馬を放ち、
男の人たち10 人くらいで、馬に群がり、
馬の立て髪をひっ捕まえて捉えるというのが、
わたしは爆笑してしまった。
おそらく、映像は、2011年より以前に撮られたもので、
野馬追のお祭りから、お正月などの行事、
豊富な自然や、古墳、そして、恐竜の化石の宝庫だという、中身ぎっしりな、
とっても素晴らしい歴史の映像を堪能させて頂いた。


この、ムカデみたいな虫の旗、やべえ。



カッコいい。





この、歴史展示物は、常時展示してあるものだが、ものすごく見応えがあって、
つい、うっかり、
「冥界の国へようこそ」
という、イベント展示の事を忘れかけながらも、
この歴史展示の奥にあるまぁまぁ小規模な、
冥界の国の展示物の会場に入った。

父は、ろくに見てもいないわたしの絵の事を、
個展会場で、
父:「あの世の絵や」
と、独自の解釈を妹に解説していたにも関わらず、
更には、
父本人が、
父は若くして亡くなった父の歳の離れた兄の生まれ変わりだ
と、昔から何度かわたしに、語っていたくせに、

輪廻の思想、
六道輪廻の思想
天界 と、冥界の思想の事などを
何にも知らなかった。

修羅界、餓鬼界、畜生界 など、
六道輪廻と、涅槃についての思想を
わたしが解説すると、
父:「ぇえ〜、、杏ちゃん(ワシ)、詳しいやん」
と、感心され、
私:「まぁね、そのぐらいしか知らんけどね」
と、すかしてしてやった。

古い掛軸の幽霊の日本画や、六道輪廻の巻絵を一通り終わって、
結局、やっぱり南相馬市の歴史の方が見応えもあり、面白かったね!
と、言って、
博物館を出た。

帰り道に、父が、執拗に振る舞いたがっている、父の作るすき焼きの材料を
スーパーで調達。

そして、最寄りのローソンへ行き、飛行機チケットのLoppiの使い方を伝授した。


帰宅すると、Amazonからの不在連絡があったので、本日中配達には17分遅れており、
次の日の時間指定で、父に何時にするか訊ねたところ、
父:「明日は五色沼と、ナントカ(←なんつってたか忘れた)に行っても、まぁ、なんぼ遅ても、夕方6:00(18:00)には、家にもんちょうろう」
という事で、
時間指定を18:00〜20:00で、再配達の依頼をし、
その日は、父の作ったすき焼きを食べながら
明日の天気予報を見ながら、
テレビ:「明日は雨が降ったり止んだり、風が強いので、お出かけは、明後日、日曜日がお勧めです。」
と言うアナウンサーの言葉に、
私:「よっしゃ!これ見てみんな明後日に行くから明日は人が混んでなくて ちょうどええやん!!」
と、言うと、
父:「そやね!!明日がほんまちょうどピッタリやな!」
と、
場所より、欲より、何よりも、
優先的に人混みを避ける事に重点を置くわたしと父は明日の予定が正解である事を
自ら等に言い聞かせた。


その晩、わたしが明日の準備をしていると、
隣の部屋のキッチンの方から、
父が、職場の方と電話で話している声が聞こえてきた。
電話で父は
父:「ええ〜!!うそ〜ん!!笑 なんで知っちょるがですか?!笑笑笑
ぇ、えぇ〜、嫁ならわかりますけど、娘ですよ〜笑笑。 娘なんか見てもなんちゃーないですよ~笑笑笑」
と喋っていた。

電話を終えた父に わたしが、
私:「ww何て?」
と訊くと、
父は、笑いながら
父:「お父さんの職場の人が、今日、伝承館行ってましたよね?やと。笑笑
杏(わたし)と居るところを職場の人に見られちょったみたい。若い士が、娘さんの写真見せて下さい 言うけんど、見せてもしょーがないですよゆうて。笑笑笑」
と。

父はこの、"若い士(わかいし)"と言う言葉を、
この4日間の旅の間、
職場からの電話の際や、わたしに父の仕事の話をする際、頻繁に使っていたが、
わたしはこの旅の最終日まで、ずっと、"若い衆"と言っていると思っていた。

わたしが、
私:「(わたしも)たまに、お見合いせえへん?て、声かけられるんやけど、そういう時は、『え。わたし、クズですよ?』って言うてる。」
と言うと、
父は、
「そうか!」
と、言って何がオモロいのか、それはそれは楽しそうに笑っていた。

この人(我が父)は、過去に、わたしが結婚するかもしれない旨を、わたしの実家でのわたしの両親と、その相手の方
(※結局、その人はヒモのみならず、普通に、わたしのお金をカードと、印鑑、通帳を盗んでいた泥棒&多分ただの詐欺師でした※後日談)
との話し合いの食卓で、
相手の方が
ヒモ:「真剣に結婚を考えています。」
と言った瞬間、
父:「ほんまにこんなん(わたしのこと)でええのか?! 絶対に後悔するぞ!!」
と、
その相手の方に食い気味に言い放ち、
瞬間、わたしの母も、相手の方も、
「えっ?」
と、凍りつく場面があった。

父は、昔から、
わたしが嫌がらせやいじめというか、村八分状態になろうが、
父:「そんなことをされる側に問題がある。杏(が悪い。」
としか言ったことがなかった。
そして、
父:「絶対にヒト(他者)を嫌いになったらいかん。」
と、
わたしによく言っていた。
今になって予想できることは、ただ、そこが、父の生まれ育った、知り合いしかいない小さな村だったから、父にとっては、そこが世界の全てだったから、
父にしてみれば、わたしを守る事の方が、世界との折り合いが付かなかったために言っていた言葉に過ぎなかったのだと考えられる。

わたしが実家のあるその村に、両親から出禁を食らっている今、現状に対して、
今年初めに、父の方から最初は、
父:「来年度末でお父さんも福島から帰るけん、杏ちゃん(わたし)も、そこでまだ絵で食べれんかったら、一緒に実家帰って農業でもするべ。」
などと、言ってきたので、
わたしも、そのつもりでビジョンを持とうとし始めていた。
その数週間後、父は、やっぱりわたしは帰るべきではないと、
そういう人達だと知らない人間が聞けば度肝を抜かれるであろう、真逆の主張を述べた。
わたしは、そういう人達だということは、まぁ、予想の範疇ではあったが、ムカついたので、
私:「なんで帰ったらあかんの?前は無理やり連れ戻して閉じ込めようとしていたくせに。」
と言うと、遂に父は、
「お父さん等ぁ が、恥ずかしいけんよ!!」
と、
キッパリ、はっきりそう言いきった。

逆にここまで、建前をガン無視した直球で応えられると、清々しくもあるものだ。

話は逸れたが、
そんな父が、最初で最後、一度きり、
後々よく考えると、ただのヒモというか、泥棒、詐欺師だった、その相手の男性についてのみ、
「あの男は絶対いかん!アイツは嫌いになれ!」
と、
" 他者を嫌え " と、わたしに言ったのだった。

話は、先日の福島県での父の との談話に戻り、
わたしが、「お見合い勧められても『わたしクズですよ?』と、断る戦法を父に話したところ、
それはそれは愉快な顔して笑っていた。

その父の笑いのツボが、わたしにはまだわからない。というか、
わかりたくない。
と思った。

そして、その晩は、翌日の五色沼に向けて、
とっとと眠ったのは、
普段のわたしの生活リズムでは、まだ、お昼前ぐらいにあたる、
21:00 頃だった。



そろそろ、文章が粗悪になりつつあるので、
まぁ、ゆっくりと、、👅笑 っちゅー事で。


次回、遂に、福島県3日目、五色沼と磐梯山は行くよ!



福島への旅 ⑤   へ 続く。


aune
2020/10/30

(福島県へゆく 〜 福島への旅 過去ログ)