10月 23日 2020年

福島県での1日目の朝を迎えた。
早朝6:00、勝手に目が覚め、支度をして、
あとの予定は父に任せており、普段から、観光や旅行に大して興味のないわたしは、
わたし同様と言うべきか、父同様と言うべきか、
だいたい、「お父さんの第二の故郷」などと言っている父だが、
行動範囲の狭さや、関心の偏りの著しさは想像に容易い。
何故ならわたしもそうだから。

一か所だけ、父の住むアパートから、車で6分のところにある、
南相馬市 地域歴史博物館 で、現在催されている
「冥界へようこそ」
という展示に、行けたら行ってみたいと言ってみた。


まぁ、、行ってみたいとは言っても、これは、
万が一、時間を持て余してしまった場合、親とはいえ、ヒトんちで、しかも父と二人で、わたしが普通にくつろげるわけがないので、言ってみただけというのが8割程事実。

この日に父に任せているところは、おそらくわたしにとって、最も行くべきところ。
最優先のところ。

この日は朝から雨が降っていた。

まずは、朝食に、
わざわざ車ですき家に連れて行かれ、わたしは朝っぱらから すき家 のカレーを食べた。
父はサバの朝食セット。

そして、先ず訪れたのは、父の働く町役場。、を、車で 駐車場をぐるっとしただけの、建物をチラ見して終わり。
昔から、父は割とこういうことをする。
職場を遠巻きから
父:「あの建てもんが、お父さんの働きようとこ。」
と言って、指差すだけとか、
父:「お父さんの会社の前通っちゃるけん」
と言って、本当に一瞬通るだけ。
私:「え? どれ? 過ぎた?」
父:「もう過ぎた。もう見えんなった。」
てな具合に。

父に今回教えてもらったが、
父の仕事は、シビル エンジニア (と、英語では呼ぶらしい)、つまり 土木、建築の、測量、設計を行い、図面を書く仕事らしいのだが、
高知にいた頃、幼い頃から、事務所や会社は殆どよく見せないクセに、
父が作ったのだという、屋外にある、何の変哲もない橋や道路や地面は、
車を止め、車を下りたりなどまでして、じっくり見せながら
普段語彙力もへったくれもねえ父が、めちゃくちゃ饒舌になる。
典型的なヲタクである。
橋や道路は、まだ、作ったと言われて幼心にも、ギリギリ理解できたが、
学校のグラウンドの地面や、ちょっと新しめの道路や、道の地面をものすごく専門用語を交え、その専門用語を更に説明しながら、まぁ、とにかくよく喋る。
ただの(と言っては悪いが、)地面を、ずっと説明してくる。
人類にとって、社会にとって、必要不可欠な仕事ではあるのだが、
わたしは父が一体、はっきり言って何をしているヒトなのか、なんとなくわかってきたのも、20 代そこそこになってからだった。(わたしもバカなので。)

父は図面を書く延長線上に、文字を書き、三角定規2つを凄い速さで使いこなし、
年賀状も書いていた。
それはそれで、頭イカれてはいるが凄い特技だとしても、
平仮名、カタカナ、漢字、数字、全て直線で書かれている文字は、どう見ても、犯行声明文だった。
わたしは硬筆は習わされていても全然駄目だったが、毛筆は、絵筆同様、導かれるように手が動いたため、書道は得意だった。
なので、父と母が出す年賀状は、わたしが小学5年生から、ほんの数年間、代筆をしていたこともある。

話は戻り、
父の働いているという町役場を一瞬で過ぎ去った後、
次は、今年9月に完成したばかりの、
『 東日本大震災 原子力災害伝承官 』

わたしには、上手く言葉に出来ない。
父が居るから、うかつに涙腺にも気を抜けない。
結構キツかったが、行けてよかった。
おそらく福島県のどこかの小学生等だろう、学校の課外授業か、見学か、語り部さんの話をガラス張りの部屋でみんなマスクして聞いているのが見えた。
改めて思ったことは、
兎角、イメージというのは恐ろしいもので、
それが行く行くは、ブランド力を持つ。
誰かの経験は、言い知れぬ程 過酷で思い出すのも嫌なことでも、そこには価値が生まれる。
そこに集ろうが、誰かにとっての忘れたいものを残そうが、残したいものをねじ曲げられようが、
人類にとっては大切な記録、データなのだ。

「福島」と聞けば、もう原発のイメージが定着してしまっている。
無論、わたしだって決して例外ではない。

"りんご"といえば 青森、
"さくらんぼ" といえば 山形、
"お米"といえば 秋田、
" 福島 "には、あの日から、"原発"という、ある意味での、"ブランド"が付いてしまったのだと思った。
わたしもそのブランドのために福島の地に来ているのだ。
福島 には、りんごも、桃も、さくらんぼも、ぶどうも、梨も、お米も、海の幸も山の幸もたくさんあって、どれも全国1位、2位のものがたくさんあることを
恥ずかしながら今更知って驚いた。

福島県産 という、ブランドは、原発 に根こそぎ持っていかれ、
本当は福島でたくさん取れる さんらんぼ も、『ふくしま』と表記するだけで、売れないため、
『山形』と表記することもあるらしい。
あまりにクリーンな世の中になって、誰もが臭いものを排泄していて、歳を取れば肉体は滅び、最期には命の朽ちる臭い、全てにそれぞれ臭いが有る、そんな当たり前なことも、我々は毛嫌いしたり、臭いものを排除して、生命の臭いの都合の良いところに生きる事が正しいとされているが、
わたしはそうは思えない。
臭いものは臭いが、臭いものが臭いのは当たり前だ。
誰かが担ってくれてるから、避けられる生活があることを忘れて生きるようにはなりたくないと思う。

どんな出来事も、時と共にそれは人類の経験値となり、財産となる。
そのブランド力を逆に活かそうとすることは、一人一人の簡単に代弁などできない苦しみや、忘れたい事に配慮していては、集合体という社会がある限り、次のステージはもたらされない。
元に戻る事は出来ないのだから、色んな倫理観が有るだろうが、綺麗事など、人の数だけ有るものなのだ。
わたしは、今回、伝承館に行けてよかったと思う。

せっかく、原発事故の伝承感も作って、常磐線も、ようやく開通したのに、
そこにきてコロナか、、。畳み掛けてくるな。。
リーマンショックの前から、経済なんて破綻しまくり。
お金がないと本当に生きていけないのだろうか、
文句ならいくらでも言える、まともに考えて、おかしなことをしている政策にも、
矛盾している論点にも、この世界は多数派が正解なのだし、
社会的に抹殺される理由すらも、くだらない世の中になったと感じながら生きてる。そんな、わたし如きの引きこもりが今更 何を言える口では到底ないことを承知の上で、
「伝承館、せっかく作ったのに、、」
と、思った。
誰もが、現在、元に戻る事を望んでいるが、
元に戻る事なんて無いと思う。
意識していないだけで、元に戻るのではなく、新しい仕組み、新しい概念、倫理、価値観が行き渡り、
そこでやっと、現在地から、歴史、時代を振り返って、人の心を惹きつけるものは必ず見直されるのだから、
どこだっていうだって同じ、全てがタイムリーになる事なんてない。
取り敢えずは、誰もがもっとわがままで良いと思った。
その方が人にも優しくなれる気がした。
殴って済むなら殴れば良いし、人は人に迷惑をかけずに生きるなんて無理だ。
「人は一人では生きていけない」と、言う癖に、
「人に迷惑をかけるな」と、喧嘩するのも、また情緒。
何が不幸だろうか?わたしにはわたしの視界、わたしと言う人間からしか、世界は見えないのだから、
誰かの経験を、不幸や、不運という言葉で片付けたくはない。
だから、伝承館、いつか、たくさんの人が来場できると良いな。。

わたしは父のおかげで誰かにとっては今更だろうけど、わたしにとっては生きてるうちに行けただけでも充分だった。
伝承館、3Fからの双葉町 の風景。




あいにくの空模様で、外には出られなかった。

こんなに真っ平。
でも、きっと、人々の生活、当たり前に来るうざったいほどの明日があることを
信じている事すらも忘れて信じて生きてる。
ミニマリストだろうが、環境保護だろうが、自分の好きにやれば良い。
自己満足でやれば良い。
そんな気持ちになった。

伝承館を出た後は、
父の車で、原発事故後、避難区域だった、
双葉町、浪江町の景色を見ながら父の設計、測量で仕事をしたという、
少し高台に作られた公園と、地震と津波で崩れた墓地を移動した霊園、そして、震災の慰霊碑
の有るところへ向かった。

少しずつ、人々が帰ってきつつある家はチラホラ、
空っぽになったまんまの、立派な家を見ると、わたしであっても、此処を離れなければ命の保証が無くても離れない!と言ってしまうと思った。

双葉小学校、現在、全校生徒11人のこの学校のグラウンドは、野球もサッカーも出来る。
父が作ったグラウンドだそうだ。
人工芝で、アホの父云く、
「日本一のグラウンド」だそうです。。
でも、10年ほど前に、実家の高知で、土佐清水市にある、過疎地ならではの、周りの学校まとめて使う感じの、割りかし大規模なグラウンド、運動場?を作ったと言っていた際にも、
「日本一のグラウンド」だと言っていたので
多分何かを作ったら「日本一の」と言いたくなる、というそういう癖か何かと思われし。

父が作ったという公園(多分、父が作ったというのはこの道や地面の、現場での力仕事ではなく測量と設計 と、現場での指示だと思われし。)
奥に見えるのは、移動したお墓を含む霊園。
敷地入り口に建っている、震災の慰霊碑。
父が、しきりに作ったと自慢気に語る芝生の地面。
この敷地を、父が作ったと、ずっと言うてる、、。




↑父の作った、この高台の敷地から見える風景。↓


観音像。


↑そして、この、見通しの良さですらも、
DNAに 末恐ろしくもなる、方向音痴運転を繰り返す父。

・・おめぇ(父)が設計しとるんちゃうんけ・・・

海沿い。

働く車と働く人達。

漁港も戻ってきている。

浪江町、か、双葉町、、うろ覚えで失礼しました、、。


この日の、曇時々雨 の天気が、、。
おそらくではあるが、地震か、津波で崩れて転がったままの墓石たち。
ここの墓石を移動したらしい。(違っていたらすみません。)








空模様も影響して、さらに閑散としているように感じた、
浪江町? (双葉町かも、? すみません、、)



福島への旅  ④  へ 続く。


aune
2020/10/29