第一章 (P16-P20)
前回から続くユニスの言葉から始まります。
「神はあなたに、優しく、堅実で愛情深い父親と、献身的な母親を与えました。そして彼らは、あなたを正しく育て上げました。神はあなたに、強い体と明晰な心を与えました。神の創造に対する感謝の心もあなたに与えました。私は、あなたが今そのことを感謝していることがわかります。そうでなければ、この土地の美しさについてあなたが話すようなことはないでしょう?」
ジョンは答えます。
「ユニス、君の話す言葉は気品にあふれていますね。本当に君らしい。他の多くの少年や少女たちの浅はかな言動に君はまったく影響されていないことが分かります。君は小さいころ受けた教えから離れることはなかったね。そして今、僕が言わせてもらえれば、君の名前が益となったんだと思います。君の名前、「ユニス」には「勝利によって祝福される」という意味があります。4年間、君は人生の中で、重要ではない物事に重きを置いている人々と、いつも近くにいました。男子の学校でも女子の学校でも、進化論の理論を生徒たちの心に植え付けて、全能の神の確かな言葉の代わりに、ダーウィンのような男たちによって唱えられる伝統を教えようとしてきたという事実に対して、僕たち二人はよい証人です。君は、その魅惑的な影響に耐えて、自分に向けられた冷笑と非難をものともせずに頑張りましたね。それは、霊感を受けた聖書を信じる人すべてが受けるものです。僕は、今朝の勉強会の時に、君が、僕たちの家で私たちの両親から受け取った子供のころの教えをまだしっかりと持っていることに気付いたよ。若い男女を、子供の時に親から教えられた事柄から遠ざけようとする、現代の教育者の影響にも君はよく踏みとどまってきましたね。だから本当に、君はこれまでも、そして今も「勝利によって祝福されている」と思います。」
「僕は、ユニスという名前のさらに優れた、そしてもっと適切な意味を思い出したよ。君がこの名前を持っていることは、君にとって、本当に良い財産だと言えると思う。僕がどこからその情報を手に入れたか、君ならすぐに分かると思うけどね。君が僕にこれまで言ったことや、僕が君について知っていることは、君がその名前の意味に本当にふさわしいことの証明だよ。君は前に、神学校で宗教的な礼拝に出席しなければならなかったと言っていたよね。会衆の集会や、特に日曜日の朝の礼拝は、まるで社交場のように着飾ったドレスのパレードのようだったと言ってましたね。牧師はほとんど聖書に言及せず、それを説明しようと試みることすら、決してありませんでした。主に進化論、政治、社会的な問題について話し、世俗の作家の本から自由に引用していました。聖書を信用しないという全体的な傾向がありました。僕は、君が話してくれたことを理解し、感謝しています。私が過去4年間通っていた大学も似たような状況でしょう。ほとんどすべての教授、特に聖職者である教官たちは、高等評論家であり、科学や人間の知恵に頼って高い所を目指そうとしますが、彼らが本当の高い領域に達することはないことを見てきました。」
ユニスは答えます。
「はい、ジョン、私は自分に何度もこのような質問を投げかけてきました。なぜ人は自分を牧師や神学の博士と呼び、神の僕であると主張し、人々に聖書の意味を教えることさえしないのでしょうか?おそらく、彼自身が聖書を理解していないからでしょう。しかし、そのような人は、教えているふりをするべきではありません。神学校の牧師は、彼の教会の集まりに出席するほとんどすべての人々に非常に人気があるようでした。彼の社交的な集まりに出席する人々は、彼に対して、多くのお世辞の言葉を話しました。しかし、私はしばしば、それらのいわゆる「教会の礼拝や社交の場」で、自分が場違いだと感じることが多く、私たちの家で私たちの両親から教えられたことを考えるために、一人で逃げ出したくなったことがあります。私が学んだことからすると、これらの神学校や大学は、牧師や神学の教師を含め、実質的に神を忘れてしまっているようです。そのような教えの結果、ほとんどすべての学生は不可知論者や無神論者になってしまいました。」
それに対して、ジョンはこのように言います。
「ユニス、君はそのような宗教的な礼拝で、満たされたと感じたことはないでしょう?あなたの心は常に家で学んだ神に関することに向けられて、それをしっかりと守ってきました。さて、ユニス、私はあなたの名前の、より深く、そしてより優れた意味を話そうと思います。ある若者が使徒パウロの足元に座り、神とキリストイエスについて彼から学びました。パウロはこの若者をとても気に入っており、度々彼に愛情深い言葉で語りかけていました。その若者の母の名前はユニスで、パウロは彼女を「偽りのない信仰」の女性として言及しました。君も同じですよ。あなたの信仰は真実で純粋なものです。あなたの周りのすべての反対の影響にもかかわらず、その信仰をしっかりと守ってきました。私の幼馴染が、小さい時に受けた訓練を忘れておらず、思春期に受けた教えから離れていかなかったことを本当にうれしく思っていますよ。」
その賞賛の言葉に、ユニスは答えませんでした。二人は一緒に歩き続け、しばらくの間お互い何もしゃべらず、真剣なことを考えていました。そして、ユニスが話し始めました。「ジョン、あれを見て、私たちがとても小さかった時に、よく一緒に遊んでいた、あの大きなオークの木の下を。私の心にとって、あそこはとても大切な場所なの。あなたにとっても同じくらい大切なところでしょう?あそこには、私たちがよく一緒に遊んでいたちょうどいい丸太があるわ。今、そこに座って、問題を話し合いましょう。私の心には、あなただけが取り除くことができる大きな問題が居座っているの。しばらくの間、そこに座って、この美しい風景と再び親しくなりながら、私が考えていることをお話しましょう。私たちはお互いに、ほぼ4年間離れていたわ。その4年間私は、私たち二人について、心の中で絶え間なく祈っていました。それは、私たちが小さかった時に学んだ「ミズパ」という言葉で表現されるもので、今はその意味をよりよく知っています。「主が私たちがお互いに不在のとき、私たちの間で見守ってくれますように。」- 創世記 31:49
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たぶん、この部分だけ読むと、キリスト教の背景で育った若い2人の恋の物語を読んでいるかと錯覚するような流れです。
この後、どのように「子供たち」にあてた話になっていくのでしょうか...。
こう、ご期待! (といってもまだこの先は読んでいないので分かりませんが)