● 伝えたいことのズレその2

 

 前回の記事ではSNS上ではありますがある種のコミュニケーションエラーが原因のいざこざについて概要をお伝えしました。

 

 

 この事件、起きてしまったことは仕方がないにせよ、私の視点から見えた問題点としては伝えたいことがズレてしまったように思うんですよね。

 

 このズレというのは実際は両者ともに起きているのですが、特に見えやすいのはプレゼン側かなという風に感じました。

 

 端的に言うとプレゼンの際に熱量が強すぎて「作品の魅力を伝えて相手に楽しんでもらう」というゴールではなく「自分が感じている魅力を共有してもらう」もっと深堀すると「自分の思いを受け止めてもらう」というところまでゴールがズレてしまったのだと思います。

 

 ある作品を見た時に感じる思いや読み取る解釈というのは、見た人それぞれによって違います。

 

 何の先入観もなく初めて見た作品を通して得られた感想はある種その人の感性を示す作品ともいえます。

 

 この時にネタバレや他人の解釈が混じると印象が変わり、ある種の歪みを生じてしまいます。

 

 例えばドラえもんでジャイアンは日頃傍若無人な振る舞いをしていますが、映画になると人情味が溢れる人物に変貌します。

 

 今でこそネットミーム化するほど有名な話ですが、そういった事を知らずに初めて映画での男気ジャイアンを見た人にはその人にしか味わえない衝撃と感動があったはずななのです。

 

 まだ映画版のジャイアンは良い奴という事を知らない人に見に行く前に「映画版だとジャイアンは良い奴になるんだよ」と言ってしまうとせっかくの驚きと感動を奪うことになります。

 

 これはなかなか罪深いことだと思います。

 

 個人の感想を奪うという意味でも良くないですが、後々その作品を語り合うにしてもなるべくフラットな状態で相手に作品を見てもらった上で、個人の純粋な感想や視点を出してもらえれば、既に見ていた作品にも新しい見方が見つかったりして理解が深まったり新しい感想を抱き、より楽しむ事ができます。

 

 二人分の感想があれば二倍解釈の幅が広がるとも言えるでしょう。

 

 しかし、自分の解釈をふんだんに盛り込んで紹介した先に起きるのは視点の固定化です。

 

 同じ解釈の勢力を増やしたいという観点ではありかもしれませんが、発展性はなくなるのではないかなというのが私の危惧するところです。

 

 ここで作品を布教するにあたってのゴールの違いが如実に出てきてしまうんですね。

 

 また長くなってしまったので、続きはまた次回に回します。