● 気付きは意味がない

 

 私のブログでは日々娯楽なり生活なり仕事なりで「気付き」を元にした情報も多数お届けしていますが、今回はある意味それを真っ向から否定するようなお話です(笑)

 

 とはいえ、何かを習得するには大事な話でもあるのでこれを読んだ方も物事に取り組むときの参考にしてみてください。

 

 今回の話は元々は大学の先輩と武術の話をしているときに聞いた話です。

 

 私は空手、その大学の先輩はシステマをやっていて、よく技術の研究をしたり、鍛錬をしたりしています。

 

 技術の確認とは、例えば相手に手を捕まれた時に引っ張って対抗するのではなく、捕り手をかけたりするというような事をするのですが、まだ殴り返すとかはともかく、捕まれた咄嗟に技をかけるとかはかなり難しいんですね。

 

 捕り手というものは、ただ掴んで力づくで動かすというものではなく、相手の反射を利用したり、彼我の重心を揃えて動かしたりというようなことを同時並行で行わなくてはいけません。

 

 この感覚を養うために条件を限定して決まった手順で相手に腕などを掴んでもらい、それに合わせて決まった手順で動くことで技をかけるという稽古をしたりします。

 

 この決まった手順の稽古ですら、すべての動作を網羅的に言葉にしようとするのはとてもじゃないですが不可能だと感じるレベルで大変です。

 

 旦那芸という決まった手順の稽古上の動きだけ出来て、実践で役立てられないことを揶揄する言葉もありますが、その領域ですら割と遠いものなのです。

 

 私が習っている空手の師範は自由組手の中で相手を捕り手にかけることもホイホイやっていますが、私にはまだ遠すぎる話です。

 

 軽く前提の話をしたうえで、今回の記事のタイトルとどうつながるのか要約しましょう。

 

 実践で利用できない「旦那芸」は「気付き」で止まっているという事です。

 

 もう少し詳しく説明しましょう。

 

 今例に挙げた捕り手に限らず、武術でもその他の運動でもなんなら思考的な活動においても、スタートからゴールまでの道筋を網羅的に言葉にしようとすると情報量が途方もなく多くなってしまいます。

 

 例えば過去の記事に書いた手を上げるを文章で説明するか画像でポンと見せるかというような話にも通じる話ですが、右手を肩の高さまで上げる程度の事であっても、脳で右手を上げようとする神経の発火から伝達、使用されるエネルギーの代謝生産、使用される筋肉の網羅から力が入る順番等々と頭がおかしくなるほどの要素が出てきてしまいます。

 

 

 当然他人を技にかけようとするならさらに要素は増えます。

 

 こういったことをいちいち考えながら動くなんてことは不可能なのです。

 

 ではそういった細かい要素をどうやって解決するのか、という話になりますが、長くなってきたので続きは次回に回します。