以前の記事で言葉や文章と映像等での情報量の違いに触れましたが、今回はその事について具体例を交えて少し掘り下げた話をお伝えします。読んでみれば当たり前のことだと思うでしょうが、これをきちんと意識して理解するのとしないのではコミュニケーションの質が変わります。相手がこちらの言いたいことを理解できるかを気にしながら発信するようになりますし、伝わっているだろうという安易な期待をすることも少なくなるので、認識のすれ違いが原因の衝突も減る筈です。
まず始めに1つ簡単な例文を挙げるので読んだ通りの行動をしてみてください。
右手を挙げる
漢字ドリルの例文にでも出てきそうな文言です。ぱっと読んだ感覚として、情報不足感はあまり感じられないのではないでしょうか。しかし、実際の所これを読んで手を挙げてくださった方で全く同じ様な挙げ方をしているパターンは少ないのではないかと思います。
上に向かって真っ直ぐ伸ばす人、肩の辺りまでの人、少し前方に出す人、反り返って後方に行く人、手のひらが開いている人、閉じている人、勢いよく挙げたかゆっくり挙げたか、 etc.etc.
たった一言の実践だけでもかなりの情報が隠れていることが分かります。
因みに私がこの例に沿って右手を挙げてみた形をできる限り言葉で描写すると以下の通りになります。
背中から肩にかけてのラインに沿って二の腕までは真っ直ぐ、肘は約90°に曲げ、手のひらは正面に向け指は人差し指から小指までは揃えてピンと伸ばし、親指は第一関節を曲げて手のひらに添えた状態。
とこんなところでしょうか。中々にくどいというか下手に情報が並ぶ為に余計わかりづらくなっているように思えます。しかも、これだけ言葉を並べて肩から先の情報だけ、もしその時の全身の状態を具体的に描写しようと思えば気の遠くなるほどの単語が並ぶでしょう。
写っているのは上半身だけですが、ぱっと見ただけでどの様に手を挙げているのかを理解出来ると思います。先程の例文とこちらの画像での情報量の違いは意外と並べてみないと実感できないのではないかと思います。しかし実際の所視覚から得られる情報は想像以上に大量にあり、それらは無意識下で処理されているためあまり負担を感じないのです。
これがさらに映像であれば、どれくらいの勢いで挙げたのか、どの様なモーションで動いたのか、どれくらいの時間挙げられていたのか等といったように情報量が増え、更に目の前で実際に行われるのなら、別の角度から見たり、音や匂い等他の情報も桁違いに増えます。
このように言葉「だけ」で物事を伝えようとする時の情報量は、画像、映像、体験と比べ格段に少ないということがご理解いただけたと思います。
ただし、例外的に文章で物事を伝えるのに十分な情報を乗せられる条件もあります。それは経験の共有です。先程の画像を見ていただいた方は当てられない程度に手を挙げるという文言からどの様に手を挙げるかの画像が想起されほぼ同じ様な形で手を挙げれるでしょう。
以上のように文章は説明という観点においては情報量に乏しく、少ない量で伝えるには伝える側と受け取る側の心理的な距離の近さが必要であるのです。
Twitter等のSNSを見ているとこの事実が頭から抜けがちになる人が多く見受けられます。そもそも文字数制限等が有って伝えるのが難しいにも関わらず、大して親しい人でも無いのなら尚の事思いが簡単に伝わると思うほうが期待のしすぎなのです。
言葉は時に鉛より重く、時に紙切れよりも薄っぺらく軽い物です。そこを理解して、発信する時は言葉か心または両方を尽くし、受ける時はしっかりと受け止め、意図を読み取る努力をしましょう。