● みんな疲れている その2 

 

 今回は前回に引き続きとある武術系YouTuber界隈でおきたちょっとした事件についての解説回になります。

 

 根本は「あれっ?」と思うような事が起きているけどみんな疲れているんだろうなあという話に収束していきますので読むのが疲れるという方はそんなふうに認識していただければ大丈夫です。

 

 前回は達人YouTuber界隈の一人のあるシステマの先生が、謎の「古式剛柔流」という言葉を作り出し、それを真に受けて「〇〇先生に名付けてもらいました!」と堂々宣言する人が現れたという話をしていました。

 

 今回はなぜ「古式剛柔流」という言葉がちょっと面白いかということの解説に入っていきます。

 

 かなり前に空手の歴史のような記事を書きましたが、空手というものは元来沖縄発祥であり、本州に紹介するにあたって唐手という文字で紹介され、その後徒手空拳での競技化や禅の概念を当てはめて空手という文字に変わりました。

 

 流派というものも沖縄から本州に紹介するにあたって、本州側の人間が分かりやすい名称を求めたためつけられただけのものです。

 

 件の剛柔流に関しても来歴はある程度はっきりしており、その流派の開祖にあたる方が奉納演武の際に名乗ったのが最初とされますが、その奉納演武は昭和四年、流派の名前だけでいうと100年経っていないのです。

 

 商売の概念で言えば30年続けば老舗を名乗れるらしいという話も聞きましたが、武術に関してそんな感じで古式を名乗られると妙に違和感を感じるというのが個人的な感想です。

 

 これがまだ「剛柔流に伝わる古式の技術」なら話は通るんです。

 

 剛柔流の開祖の更に上の師達から続く技術を残しているという意味なので。

 

 ただ、ここで「古式剛柔流」と言ってしまうと最大遡って100年経たないものを差すことになるので「そこを誇る意味ある?」って感じになってしまうんですよね。

 

 この古いんだか新しいんだかわからない感じ、うまい例えが見つかりそうで見つからないんですが、「古式剛柔流」という言葉からは「古新聞」とか「旧式の新幹線」みたいな、なんともいえないちぐはぐさを醸し出しているのです。

 

 そういったトンチキな印象がつく事とは別の問題もあります。

 

 空手というものは元々は複数の師につきながら自分にあった技術を練っていくという形で技術を伝えてきました。

 

 そういったある種混沌とした「沖縄の土着武術」の総称として空手なり唐手なり手なり首里手、那覇手、泊手なりいう分には「自分の知らないところのどこか古い技術」というような感じで角も立たないですが、流派として制定されたものに対して「古式」を名乗るということは「他は改変が加わった」という意思表示とも取れます。

 

 他の剛柔流においては「開祖に師事した高弟の誰それの流れ」というのを明らかにしている中で件の「古式」さんは師の名前も出さずに「うちは古式」と名乗り始めたわけです。

 

 まあ他流のことなので私が目くじらを立てることでもないですがちょっと雑が過ぎるなと思いました。

 

 そしてさらにここからは本気なのかネタなのかわからない領域ですが、その新興古式剛柔流においては免許皆伝を得た継承者が代々受け継ぐ書にその継承者が得た新しい技術を書き込んで行くのだそうです。

 

 その方はアクション俳優として活躍する傍らパルクールも学んだので自分の番でパルクールの項目を作るそうです。

 

 そうなるとやっぱり「古式の技術が残る新しい流派」として名乗ったほうが良かったのでは?という思いが強まってしまいました。

 

 なんというかシンプルに日本語の使い方を間違って恥ずかしい名乗りをしちゃってるなという感じです(笑)

 

 こういった込み入った変な印象は、正直空手をやっている人の中でも歴史とか流派に興味を持つ人でないと伝わらない要素なので別に良いんですが、どうしても一般の人でも聡い人は気づいてしまう問題があるのでヒヤヒヤしているところもあります。

 

 どういった点に問題が出てくるかはまた次回お伝えします。