● シン・ゴジラと大怪獣のあとしまつ その2
※今回の記事は映画に関してのネタバレが含まれます
前回の記事では、シン・ウルトラマンを見に行く前の復習を兼ねて、地味に見逃し続けていたシン・ゴジラを鑑賞し、改めて大怪獣のあとしまつと比較したことで出てくる面白さがあるという事、そしてシン・ゴジラの要素について書きました。
シン・ゴジラの特徴は怪獣とそれに立ち向かう戦力のリアリティが強く、そのリアリティで実は現実離れしている「英雄的人間像」を違和感なく描写しているというものでした。
対して大怪獣のあとしまつはどうでしょうか。
私がこの映画を見た時に感じたのは「こういう人間っている」というリアリティでした。
大怪獣のあとしまつの批判においてはリアリティがないという物が多かったのですが、それは単純に世界観に関しての理解がないだけだなと思います。
シン・ゴジラと大怪獣のあとしまつでは「未知の怪獣が現れる前後」という意味で時系列的に並べようのない部分があるのですが、それを差し引いて対比した場合に大怪獣のあとしまつの方が世界観にフィクション要素が多いと言えます。
例えばシン・ゴジラで怪獣と戦うのは自衛隊や多国籍軍で現実の存在ですが、大怪獣のあとしまつでは総理大臣直下の特務戦闘部隊が組織されています。
その他にも怪獣に使用する兵器が少なからず現実の兵器の延長にあるシン・ゴジラと違い、冒頭に一瞬登場する航空兵器や、ポスターに描かれる怪獣の死体処理に使うアイテムは普通には見ないいわゆる特撮作品風となっています。
そして何より、怪獣含め何故存在するのかの説明が乏しい人間が確認できない未知の存在が居る。
特殊兵器や怪獣退治のチームが居るという世界観的な観点で言うとシン・ゴジラよりも大怪獣のあとしまつの方が旧来の特撮作品に倣った作りになっているのです。
しかし、そういった特撮作品のテンプレートに近いにもかかわらず、その根本的テーマはむしろ「どうあがいても人間は愚かである」というのが大怪獣のあとしまつの重要なポイントだと思うのです。
自力で怪獣を退治出来なかった人間、喫緊の脅威が消え緊張感が無くなり足を引っ張り合う閣僚達、世界の終末を叫ぶ新興宗教の勃興、危機感の無いインフルエンサー、どうでもよいタイミングで入る色恋沙汰、土壇場になってもなおエゴを通そうとして主人公の足を引っ張るライバル的存在、あげく最後は怪獣を倒した未知の存在が全てを解決してしまう。
要素をすべて網羅してはいませんが徹頭徹尾「人間が右往左往しているだけ」の映画なんですね。
実は怪獣は何一つ関係ない。
しかし、世界観がフィクションなだけで人間の描写は生々しすぎるほど的確とも言えます。
怪獣退治の特務機関から指揮権を奪っている状態にもかかわらず「思いは一緒だ」と、熱血風な空気を出して主人公を抱きしめ諭そうとする国防軍の隊長の自分に酔っている感じとか、凄く現実に居そうだと思います。
他にも怪獣から発する腐敗臭を何に例えるかを無駄に考える政府、その政府発表に結局反発して騒いでいる民衆、怪獣が死ぬ前後で言ってることが微妙に変わっていそうな終末思想の新興宗教などなど、怪獣というフィルターを取り去ればどこにでも居そうな人間がそこかしこに描かれているのです。
世界観として過去の特撮作品の雰囲気を踏襲しつつ、中に描かれる人間像はそれまでのものと全く逆で英雄像などかけらもないというのが「大怪獣のあとしまつ」なのです。
少し長いので今回はここまで、次回はまとめです。
