● シン・ゴジラと大怪獣のあとしまつ

 

※今回の記事は映画に関してのネタバレが含まれます

 







 

 以前「大怪獣のあとしまつ」に関して「そんな酷評されるいわれはないだろう」みたいな記事を書きました。

 

 

 実を言うとその時に私はシン・ゴジラを見ていなかったので何をもってそうやって酷評されているのか分からないところがあったのですが、先日公開されたシン・ウルトラマンもそのうち見に行くわけだし、ということでアマプラでシン・ゴジラを見ました。

 

 しっかりとシン・ゴジラを見たことでまた新しい面白みを感じたのでちょっと記事に書いていこうと思います。

 

 シン・ゴジラを見てすぐに感じたのは「まあこれを期待して大怪獣のあとしまつを見た人が怒る気持ちもわからんでもない」といものでしたが、大きく感じたのは「やはり大体の批判は上っ面しかみていない勿体無いものだな」というものでした。

 

 私自身としてはこの映画二つは対比して見た方がより面白いと思っています。

 

 なぜそう思うのか、それは近い題材を扱っているにも関わらず、表現したいものや技法が正反対だからです。

 

 このあたり、大怪獣のあとしまつの方が意識して作っているところもあるかもしれませんが、少なくともそれは批判の声にある「劣化パロディ」としての意識ではないと言えます。

 

 まず私が感じた事としては「リアリティとフィクションの構造が逆になっている」という事です。

 

 あくまで私の解釈ですが

 

 シン・ゴジラは「フィクションをリアリティで包み込んだ作品」

 

 大怪獣のあとしまつは「リアリティをフィクションで包み込んだ作品」

 

 となります。

 

 別の言い回しをするなら「怪獣」にフォーカスが当たっているか「人間」にフォーカスが当たっているかの違いとも言えます。

 

 シン・ゴジラを見た感想として思うところは「こんな怪獣が現実に現れたらどうしよう」というものでした。

 

 破壊される街並みのリアリティもそうですが、「怪獣」という未知の脅威に対し、鯨のような海洋生物の常識を適用した結果上陸を許してしまうところや、移動する災害のような怪獣に対してどこに逃げれば良いんだろうという絶望感に非常にリアルさを感じました。

 

 怪獣に対して使用する兵器も、完全に同じかはわからないものの実在する兵器が登場し、作中最後に出てくる化学兵器などを除けば「怪獣が出た時には本当にこういった作戦が展開されそう」という風に思えます。

 

 こういった「怪獣」を中心にみた時の被害や戦闘、恐怖の解像度が非常に高いと言えます。

 

 反対に実はリアリティに欠けるのが「人間の描写」です。

 

 少し斜に構えた見方になりますが、シン・ゴジラの最もフィクションな部分は怪獣よりも「人間」と言えます。

 

 先ほど述べた冒頭の怪獣の上陸前に鯨の生態を適用した危機感のない希望的観測などはリアリティがあると言えましたが、それ以降は「怪獣が出た現実」を体験していない我々では判断がつかないものの、どちらかといえば現実的でなさそうな人間模様となっています。

 

 内閣が機能していたタイミングでの決定を総理に迫るシーンはありそうかなという気もするものの、もっと取り乱したり弱音を吐いたりしても良さそうかなという感じはありました。

 

 もちろん尺の都合で省かれた可能性もありますが。

 

 その後の怪獣対策の組織が立ち上げられてからはよりフィクション感が強まります。

 

 各部署に居る能力は高いが色々と難ありな面子を寄せ集めての対策チーム、それぞれが能力と個性を発揮して一致団結するさま、損得勘定なく日本を救うために奮闘するメンバー、それらを統括することを任された本当に国のことを考えている野心的な主人公などなど…

 

 良い意味ではありますが「ありえない人間の描写」だと思います。

 

 しかし、この「ありえない人間の描写」こそがゴジラをはじめとする特撮映画の根本的テーマであるとも言えると私は考えています。

 

 「人間は時に愚かだが、本当の危機に直面した時は自らを犠牲にしても世界を救うだけの『英雄性』を持っている」ということです。

 

 この英雄的人間像というフィクションを怪獣が引き起こす災害とそれに立ち向かうことで起こる被害などの部分のリアリティで包み込んで見事に表現しているのがシン・ゴジラという作品なのです。

 

 

 では、大怪獣のあとしまつはどうなのかというと…

 

 だいぶ長くなったので次回に回します。

 

 お楽しみに。