● 危険思想
今回の記事は前回の私が吐き出した毒についての解説を通して「自己認識の肥大化」の危険性についてお伝えしたいと思います。
前回の記事の軽いおさらいをすると、空手の昇級審査において自分が所属する支部の完成度がまだ中級の私から見てもあまりにも低く、その時に非常に危険な負の感情に見舞われたというお話でした。
その負の感情を前回の記事から抜粋すると以下のようになります。
「他の人たちは師範にこんな事を言わせて恥ずかしくないのか、それすらわかっていないのではないか」という周囲へ偏見。
「このまま自分が所属する支部全体が見捨てられるのではないか」という恐怖と自分だけはそこから抜け出せないかという保身的な思考。
「まだ自分はマシな方」という侮蔑的な安心感。
抜粋してみるとその酷さが際立ちますね…
しかし、今のご時世、仕事でも趣味でも何かに所属している人にはこういった感情が芽生えてしまう人はそれなりに多いのではないでしょうか。
まず最初に自戒の意味を込めてぶった切るとこれらの感情は「自分の認識の中だけで他を判断し右往左往している」だけであることを理解しないといけません。
他人の思考、感情を理解することは不可能であるのに外から見える情報だけで分かったつもりになってしまっていることに問題があります。
上記の感情それぞれで言うと、同じ支部の他の人達の取り組む姿勢、意欲、師範からの支部と自分に対しての評価、そして自分の練度、全て私自身の創造の産物でしかありません。
これは結構見落としている人多いと思うんですよね。
あなたにも心あたりはありませんか?
「あいつはこういうことをしていた、そういうやつに違いない」これは典型的な自己認識を現実だと思い込んでいる現象です。
実は「なんでこんな事をするか分からない」と批判的に言うのも同列に自己認識を現実だと思い込んでいるとおこる思考だったりします。
要するに自分の中の常識、ルールに勝手に当てはめて他を判断しようとしているのでそれに反した時に過剰な拒否反応が起こるのです。
今挙げた例のうち、特に後者は気付かずにそうなっている人は多いのではないでしょうか。
こういった「自己認識の肥大化」が起きると何が危険かというと、知らず知らずのうちに妄想と現実の区別がつかなくなるのです。
よくフィクションの小説や漫画、アニメを見て妄想と現実の区別がつかなくなることが懸念されたりしますが、私はこの自己認識の肥大化の方がより分かりにくい形で進行するので危険だと思います。
何せ本人は現実を見ているつもりですから。
勝手に他人の思考を推測したり、在り方を評価するのは個人の中では自由ですが、それを外に出すと話が変わります。
自分ルールにそぐわない人を絶対的な悪として認識してしまうのが非常に危険な事なのです。
こういった間違いを起こさない為の一つの考え方として、「今自分が認識しているものは全て自分の脳が作り出したもの」という事を覚えておくとよいと思います。
結構前の記事で水槽の中の脳のことを書きましたがそういった話です。
そもそもの話として、人が認識している現実世界というものも脳が処理したものでしかないという事ですね。
人が絶対的信頼を置きがちな視覚でさえ物を直接認識しているわけではなく、「物が反射した光」を「瞳を経由」して「網膜で像を結び」、「網膜の神経細胞が反応した刺激」を「脳が処理」するというプロセスを経ているわけです。
これはイメージの話になりますが、「現実世界の中に自分が居る」というよりも「自分という世界の中から現実世界をのぞき込んでいる」くらいの認識のほうが良いです。
基本は全て自分の主観、自分の身勝手な妄想だということを念頭に置いた上で他者や周りを評価するようにすれば、多少はブレーキを踏みやすくなります。
あとはなるべく色々な人と交流することで、自分が予測していた相手の思考と実際の相手の考え方の差を修正するように出来ればより良いです。
まずは人は完全に客観的になることなど出来ないと認識した上で常に修正を意識し、自己認識の肥大化を防ぎましょう。