● 上手くやろうとする その2

 

 前回の記事では成長できない原因に関しての気付きがあった出来事として遊び稽古や約束組手などの話をしました。

 

 

 よく、決まった流れで行う約束組み手のような捕り手や投げの稽古法に関して「実践では使えない」という揶揄を耳にするのですが、それは視点の違いで実際は、その稽古の中でしか出来ないのであれば確かに意味はありませんが、本来約束稽古はその中で抽象化された要訣をつかむことが目的で、要訣さえ掴めれば実践に使えるわけですね。

 

 そして、決まった流れの中で行う約束稽古と実践の橋渡しをするのが先ほ述べた遊びに近い稽古なのです。

 

 危険の中に身を置くと考える余裕が無くなってしまうので、危険要素を減らし、自由に動きつつ要訣を応用したり、体になじませていくという効果が期待できます。

 

 この遊びに近い稽古をやる中で私は上手く行かないなという事が多かったんですよね。

 

 素振りでは上手く行くことが出来なかったり、掴みかけた感覚が出てこなかったりという感じで良いパフォーマンスが出ませんでした。

 

 そこで相手をしてくださっている先輩から言われたのが「上手くやろうとしているのが見える」という事でした。

 

 これにはハッとさせられましたね。

 

 実際どんな技もかかればそれで良いのです。

 

 約束稽古等で技の要訣を見つけるとしても、それが絶対的な要素にはなりえません。

 

 どこかで人それぞれの体格や力でできる差というものがあるからです。

 

 今師範が出来る技を見た目の上で私がそっくりそのままできるようになったとしても体の各部にかかる力や動かし方が同じではないということです。

 

 ここで、要訣に絶対性を見出してしまっていると、技がかかったとしても「今のはまぐれで正しくない」というような思考を持ってしまい、ともすれば上達がそこでとまりかねません。

 

 極端に要訣を無視しろという話ではありませんが、私はだいぶ頭の中にある要訣を守るのに必死になっていたようです。

 

 この上手くやろうとしすぎるというのは、いろいろな分野で起こり得る見落としがちな失敗の要因なように思えます。

 

 一見すると上手くやろうとすることは悪いことではないですし、完璧を求める姿勢は称賛に値するように見えます。

 

 しかし、それこそが落とし穴で、上手くやろうとする欲はある種「ゴールを見失っている」状態と言えるのです。

 

 サッカーでいうと完璧なフォームで鋭いシュートを撃ったところで決まらなければ意味がないという事に近いですね。

 

 意外と目的を見失っているのに気づかずに形にこだわってしまっているという事は起こりがちです。

 

 何かに行き詰ったときは、まず最初に「自分が何を得たいのか」を確認してみましょう。