● 正しいが正しくないこと その4

 

 前回の記事ではロシア情勢の悪化でおきたチャイコフスキー作曲の序曲「1812年」の演奏中止にまつわるもやもやについて書きました。

 

 

 今回はその続きです。

 

 この曲のキャンセルの理由「ロシアが勝つ戦争の曲だから演奏しない」これは一番正しそうに見えるのですが、実際はかなり微妙です。

 何故かというと、現ロシア政権と『1812年』で描かれるロシアに関しての一貫性が怪しいからです。

 プーチン大統領はKGB出身であり、旧ソビエトの流れに居る政治家と言えますが、この『1812年』、それどころか作曲家のチャイコフスキーの生涯を通してもその頃に共産主義や共産党は存在しません。

 むしろ、『1812年』で勝者として描かれる帝政ロシアを革命で打倒して樹立されたのが旧ソビエトなのです。

 このあたりは本当は深堀りして「旧ソビエトは革命以前のロシアの文化をどう考えていたのか」を明らかにしなくてはいけないところではあります。

 しかし、現ロシア政権への批判的立場の表明として革命以前のロシアの勝利の曲を否定するのは少しちぐはぐな印象があります。
 
 日本で言えば…豊臣秀吉の朝鮮遠征の事で批判が巻き起こり、茶道が禁止されるというような事で、「そこが問題なの?」という事態だと思います。

 他にも深堀りすると、これは歴史の認識によって解釈は変わるかもしれませんが、『1812年』で描かれる戦争というのはナポレオンの侵略を退けた戦争です。

 防衛の為の戦争を現した曲であると考えた場合に、今回の西側からは侵略とされる行為とは違う性質のものになるのではないかとも思います。

 ここまで考えるとだいぶ複雑になってくるのは確かなのですが、短絡的な文化の弾圧が起きないためにはこういった考えも必要ではないかと思うのです。

 また、今回の演奏中止、曲目変更の中で、一見して正しそうで問題があるなと感じたことの中には『1812年』の演奏を『フィンランディア』と『くるみ割り人形の抜粋』に変えたという事例があります。

 フィンランディアはかつて帝政ロシアに支配され、国家・民族としての尊厳を奪われていたフィンランドの再興を表現する曲です。

 私が演奏会でこの曲を演奏した際の指揮者からの指導としては「奪われた尊厳を取り戻すとてつもない意志と反骨心がある曲」という風に言われたのがとても印象的でした。

 『フィンランディア』と『1812年』と作曲家が同じ『くるみ割り人形』を演奏することで「ロシア音楽が悪いわけではなく、強い反戦意識がある」というメッセージを込めたい事は分かります。

 しかし、先ほど述べた「1812年の戦争すら歴史の認識で解釈が変わる」という事で本当に「フィンランディア」が最適かも微妙だと思いますし、なにより「元々の演奏会のテーマを大きく塗り替え過ぎではないか」とも思うのです。

 オーケストラの演奏会は基本的には全プログラムで何らかのテーマが見えるものになっています。

 同じ作曲で並べたり、同年代の別の音楽性の曲を並べて違いを楽しんだり、師弟関係の作曲家を並べて変遷を味わったり。

 こういったプログラム決めは演奏機会の少ないアマチュアの方がこだわる傾向にあるのかもしれませんが、プロの演奏会も何かしらテーマがあったはずです。

 そうすると、プログラムの変更は一部でも、強い反戦のメッセージに変えるという事によって、演奏会全体のテーマが書き換えられたのように私は感じます。

 正直そこまでするのであれば、特別企画としてそういう演奏会を開いた方が良いのではないかとも思うのです。

 しかし、こういったともすれば批判的な評価もあとから見たから下せるものではあります。

 当事者の方々は深い葛藤の末いろいろなことを考えてこの決断を下したのだと思います。

 それには敬意を払うべきだと思っています。

 総合すると、今回のロシアによるウクライナ侵攻によって、文化的な面で見ても多くの人が混乱のさなか、それぞれの観点で正しいと信じることをしていたと思います。

 しかし、とらえ方ひとつでその正しさは大きく揺らぐものでもあります。

 絶対的な正しさはこの世に存在しないという極めて実際的な事象だと私は考えています。

 それぞれの立場からは正しいが立場が変われば正しくないことはある

 そう考えてください。