● 正しいが正しくないことその3

 

 前回の記事では現在のロシアとウクライナの情勢に煽られて起きた事象で私がもやもやしていることの1つ目について書きました。

 

 

 

 もう一つのもやもや、チャイコフスキー作曲の序曲「1812年」の演奏がキャンセルされているという事象について、これも何とも言えない話だなと思っています。

 

 私が知る限りだとアマチュアのオーケストラとプロのオーケストラで、ロシアのウクライナ侵攻からかなり早い段階に曲目の中止または変更がアナウンスされました。

 

 実際これは決定までに時間が無かったからこその話ではあるとは思うのですが、論点がこんがらがってしまっているように思わずにはいられませんでした。

 

 そもそも、この曲の演奏が中止されそうな理由として考えられそうなのは

 

・ロシアの曲だから

・戦争の曲だから

・戦争でロシアが勝つ曲だから

 

といった所だと思われます。

 

 直感的には一つ目の「ロシアの曲だから」に違和感を感じるかどうか程度だと思いますが、しっかりと考えると色々ややこしくなってきます。

 

 一つ目、「ロシアの曲だから」これに関してはまあ違和感を感じる人は多いかもしれません。

 

 西側から見てロシアのクリミア侵攻が悪であるという事に異論はありませんが、そういった行動を起こしたのはあくまで現在のプーチン政権です。

 

 ここでロシア文化そのものを否定するのは逆説的にプーチン大統領=ロシアであるという認識に立つことになります。

 

 もちろん国家の運営という観点で見ればそれで大きな問題はないのかもしれませんが、それを文化にまで拡大解釈をするのは間違っています。

 

 今のロシアの選択が西側諸国にとって敵対的だとしても、文化を排斥するとなると、それに見合う大義名分はないように思えます。

 

 次の「戦争の曲だから」これは私自身もそうで感じるのですが、直感的に正しそうに見えます。

 

 しかし、「本当に?」というところでもあるのです。

 

 戦争もの全てがだめだというのなら、他に自粛をするものは多そうな気がします。

 

 戦争を題材にしている曲はそれなりに多く、「運命」でおなじみベートーヴェンも「ウェリントンの勝利」で知られる曲を作っていますし、ハイドンも「軍隊」という曲を作っています。

 

 確かに1812年は大砲か、またはバスドラムを複数並べて音を出すという指定があるため、激しさにおいて際立っているとは言えますが、それにしたって他の戦争題材の曲にそういったキャンセルの話を聞かないというのも変な話ではあると思います。

 

 そして、「ロシアが勝つ戦争の曲だから」これが一番正しそうに見えるのですが、実際はかなり微妙です。

 

 私がこう考える理由には現在のロシアとこの曲が作られた時代の違いなどが絡んでくるのですが、かなり長くなるので続きは次回にします。