● ネタバレとは何か その2

 

 前回の記事ではおおまかに「ネタバレの定義」や人によっての温度感の違いを語りました。

 

 

 今回はもう少し具体例や、状況に応じて変わるネタバレの例についてお伝えします。

 

 私は作品の種類によってネタバレがありだったりなしだったり結構変わる所があります。 

 

 例えば私は伊坂幸太郎先生の殺し屋シリーズの様なハードボイルド系の小説が好きなのですが、ああいった作品は油断すると推しの登場人物が死ぬので、途中まで読んで推しが決まり始めたくらいでたまに巻末をちょろっと読んで誰が生き残ってそうか確認してしまう事があります(笑) 

 

 これには、物語に没入しすぎてしまうとそれが例えフィクションの存在でもショックが大きいので精神を守るという意味合いもあります。 

 

 これはある意味でネタバレが良い方向で作用することもあり得るという話でもあります。 

 

 しかし、それでもネタバレは取り扱い注意な所があって、かなり近い状況でもネタバレが精神的に大きなダメージを与える事もあります。 

 

 それは私があるゲームをやっていた時の話です。 

 

 そのゲームはシリアスな内容の物で、先程私が例に挙げたハードボイルド物のように登場人物が真でしまう可能性は充分にあるものでした。 

 

 ある日の事なのですが、何の気なしにSNSを眺めていたらそこでそのゲームの登場人物の墓参りシーンについての話が流れてきたのです。 

 

 「えっあの人死ぬの!?」 

 

 という思いで頭が埋め尽くされ、暫くショックから立ち直れなかったです。 

 

 その話は悪意を持って流されたものではなく、自分の思いを自分の領域で呟いただけなので、その話をした相手に対する恨みとかは無いんですが、我ながらこんなにショックかという事に驚きました。 

 

 その後は「ゲームだしひょっとしたら分岐でどうにかなるんじゃないか」と思っていつそのイベントが来るかそわそわし、それらしいシーンに入った所で出来る限りの事をしましたが、演出のムービーが流れ始めた所で「ああもう無理だ」という絶望に襲われました。 

 

 これは要するに能動的にネタバレを探しに行ったか、思いがけず不意打ちでネタバレを食らったかで大きく違うという事ですね。 

 

 人間何事も予想外の事が起きた時にダメージが大きいものです。 

 

 格闘技のチャンピオンでも油断しきった所に入った攻撃が一番きつい筈です。 

 

 そういった面もあるので、ネタバレは特に自分から望みでもしない場合は要注意なのです。 

 

 しかし、冒頭でも述べた通り、私は現在進行形でネタバレ欲に苛まれても居ます。 

 

 ただそれはネタバレをして誰かを困らせてやりたいわけでは無いのです。 

 

 本質は「作品の要素を理解してもらった上で語りたい」という所にあります。 

 

  つまり、とっとと見てもらえればネタバレをする必要はありません。 

 

 しかし、第一に「公開から時間が経っていないので浸透しきっていない」という事と「悪い評判が立ちすぎてみてもらえない可能性がある」という問題があるのです。 

 

 特に『大怪獣のあとしまつ』に関しては賛否の否の方が多く見受けられるところでもあります。 

 

 その中で私は「ここが面白い!」と思うポイントを見つけた為に物凄い名作だと思っているのですが、それを見つけてもらえるのかという不安も凄くあるのです。 

 

 そして、私が見つけた面白いと思ったポイントはひょっとしたら「自分で見つけたからこそ得られる喜び」の可能性もあります。 

 

 「共通認識を手っ取り早く持つためにネタバレしたい」という欲求と「それでは同じ視座に立ってもらえないかもしれない」という二律背反に苦しむ日々です。 

 

 長々思いつくままに書き散らしましたが、結局ネタバレについてどうしたら良いのかという結論には至れませんでした。 

 

 しかし、これだけの悲喜こもごもがあるという事を理解してもらい、「安易にはネタバレしない」という様に思っていただければと思います。 

 

 私も頑張ります。