● 細部を見ない危険性 その1
今回は以前の記事の最後の方に書いた怪しい→即シャットアウトはそれはそれで危険という話についての内容になります。
最近は情報が溢れる時代ですがそれに際して怪しい情報も数多流れ出る時代になったとも言えます。
ネットで簡単に情報にアクセス出来るようになったものの、そこで得た情報が正しいかどうかを判断する能力も強く求められているとも言えます。
しかし、この事実をどれほどの人が理解しているかは微妙なラインだと思っています。
それは、自分が知っている情報の大半が間違いだったとしても、それが致命的に命に関わったり、社会的な地位を脅かすという事はなかなか無いからです。
極端な例ですが、例えば昔の恐竜図鑑に載っていたイグアノドンは角が生えたゴツいプロポーションでしたが、現在では角は無くシュッとした体形が正しいとされています。
でもこの知識を間違えて覚えていたとして、恐竜学者でない限りは困る事は無いはずです。
致命的に困る知識と言えば、仕事に関する知識、お金に関する知識、そして医療に関する知識位だとも言えます。
更に言うとそのジャンルですら、いざ危機的状況に陥らない限りは問題にならないのです。
そう考えると、溢れる情報に関してのリテラシーをしっかり持たなくてはいけないという事実をしっかりと認識している人は少ないのではないかなあと思うのです。
その結果であると考えるのが直近だとコロナのワクチン、10年前だと東日本大震災の時に多発した健康被害に関する情報の錯綜です。
本当はワクチンに関する事だけではありませんが、ワクチンに関する情報の乱立で「陰謀論」という言葉が流行りましたがこれはかなり危険な兆候だと私は感じます。
何が危険かと言うと怪しい話が出た時に精査せずに「これは陰謀論」と投げ入れられるゴミ箱の様なカテゴリが生まれてしまったからです。
この記事のメインテーマである怪しい→即シャットアウトの危険なラインが強化されているという事です。
この辺りの偏見というものは非常に厄介で、自分自身が偏った思考のもとに物事を判断しているということに中々気付けないのです。
詳しい話は次回に持ち越しますが、まずは自分が怪しいと思ったことは偏見かもしれないという自省から入ってみましょう。