● 楽とは
前回の記事で「達人」というワードについて書きましたが、今回はそこから派生して現代人が勘違いしがちな「楽」についてお話しようと思います。
達人というワードについて、前回の記事には書かなかったですが
難しい事を楽々とこなす
みたいな印象もあると思います。
特に武術系では達人信仰と脱力信仰は似たような領域にあり、かつ人気があるように思えます。
実際に武術の達人の残っている動画を見ると、力みを感じず簡単そうに技をかけているものばかりです。
こういったものをやらせと捉える人も居るでしょうが、私の見解としては確かにやらせで信者を稼ぐ人も居ますが、本物が居るのも確かです。
ただ、一つ言える事は本物の技を持つ人が、今、この瞬間に楽々と技を使えるからと言って、その技を会得するまでの道中が楽だったわけではないという事です。
しかし、前回の定義があいまいで認識がズレるという事にも近いですが、この「楽」という概念が人によって微妙に違っている事で起こる誤解はよく見かけます。
こういった誤解はその分野に実際に足を踏み入れて見ると解ける場合は多いです。
例えば私が今習っている空手も、捕り手などで上手く技が決まる瞬間は確かに「力感」が無いとは言えますが、実際に本当に力を入れていないかと言われれば、力を入れていない感覚でも稽古の後にしっかり筋肉痛になったりするので使うべきところは使っているのです。
あとは力感が少ないという事はしっかり技が掛かっているかの手応えも少ないので、再現性を上げる為に試行錯誤を繰り返しながら感覚を磨かないといけません。
結局は技を楽に掛けられるようになるまでの道中は厳しい物になるのです。
また、私で言えば空手の技に関して言えばまだ習得の為に練習を重ねている段階なので、その厳しさの実感がありますが、これが会得したら会得したでその道中の厳しさを体感としては忘れてしまうという問題もあります。
皆さんも仕事や他の趣味でも良いですが経験がありませんか?
始めた当初は右も左も分からず苦労したタスク処理がいつの間にか楽に片付く様になり、そのあと教える立場になった時に、自分の苦労したという記憶は引き出せても感覚までは思い出せないという事を。
実は、この記憶は引き出せるが感覚までは思い出せないというのが厄介なポイントなのです。
人が指導に回る側になるために技術の会得は必須ですが、技術を会得すると学ぶ側に対する共感性は失われるという事なのです。
これはたとえ教えるのが上手い人でも同じです。
むしろ教えるのが上手い人は、意識しているかどうかは別として、この指導側と学ぶ側の認識のズレを考慮した指導法になっているのです。
楽を手に入れる道中は楽ではない。
まずはこの認識を持つ事が大事です。
次回はこの認識を元に、玉石混合かつ情報過多な現代社会を生き抜くために必要なマインドをお伝えします。
特にこれからビジネスを始めようとする人は必見です。
