芸術の秋も真っ盛りという事でしたが先日また一つ演奏会を完遂してまいりました。
その演奏会は過去の記事にも書いたチャイコフスキーの曲を3曲演奏する団体です。
過去の記事では作曲家が楽譜をどうやって起こして行くかの時代の変遷につて書きましたが、演奏会を終えて気付きというか、新たな疑問を感じたのでちょっと演奏会の感想と織り交ぜつつ吐き出していきたいと思います。
その疑問とは、チャイコフスキーはコントラバスがどういう楽器か理解しているのか?ということです。
なんとなく、このチャイコフスキーという作曲家の曲を弾いていると、「よく分かってるな」という部分と「何も分かってないな」と感じる部分が混在しているように感じるんですよね。
例えばパート譜の作りです。
コントラバスは大まかに四弦の物と五弦の物があります。
ざっくりとした違いは音域で、五弦の方が低くチェロのオクターブ下まで出せるようになっていますが、楽曲での使用頻度は微妙な事もあり、取り回しの面で優れる四弦の楽器の方が普及しています。
ここで興味深いのが、作曲家によって四弦を想定しているか五弦を想定しているかかは結構違いが現れるのです。
例の一つとして、チェロが下降音形で下がっていく中、同じ動きをしているコントラバスが音域が足りなくなる前に一度オクターブを上げて再び下降し始めるという様な書き方をされていた場合は100%ではないですがかなりの確率で四弦を想定しています。
結構この辺り、時代や地域における四弦と五弦の普及率等も関わるので、一概には言えないのですが、結構コントラバスはチェロのオクターブ下まで出るものだという認識だけ持ってるっぽい曲作りの物があったりもします。
そういった観点ではチャイコフスキーに関しては少なくとも五弦があるなら下げようみたいに感じられる部分はほとんど無ので、コントラバスの最低音は理解した上で作られているっぽいです。
という事でコントラバスに関心があるのかなと思いきや、結構無茶なこともさせるんですよね。
先程紹介した記事にあるイタリア奇想曲の動画を聴いて見てください。
途中ヴァイオリン等他の弦楽器と一緒にかなり早い動きをさせられることもあります。
正直コントラバスという楽器は、サイズの大きさと弦の長さの問題があって、音の立ち上がりは遅めなのです。
べらぼうに早い動きを強いられると、音が立ち上がらないのに次の音を弾かざるをえなくなり、結果としてゴソゴソ言う変な音になるだけなのです。
そういったところを見ると、楽器の特性が分かっていないような気もするのです。
しかし、コントラバスを重要視していそうな所もあるんですよね。
特に顕著なのが、以前書いた記事で言えば交響曲第6番悲愴の最後の終わりに向けての流れです。
コントラバスが心臓の鼓動のように拍を刻み、徐々に消えていく。
結構この技法は同じチャイコフスキーの楽曲でも見られ、有名所だと弦楽セレナーデにおいても三楽章の後半でコントラバスがリズムを支配します。
こう見ると結構コントラバスは重宝されているんですよね。
チャイコフスキーがコントラバスをどう思っているのか、真相は闇の中ですが、こういった「楽器を理解しているかという観点」で意外と曲の理解にも繋がるような気もしました。
この謎は謎で色々考えて深めていこうと思いました。
