前回の記事ではお笑いの要素として大切な「相手に認識を刻む」という事についての話をしました。
誰しも知るギャグという物は相手の中に既に認識があるので、あとは期待通りに出すか予測を外すかという比較的少ないプロセスで笑いを作る事が出来ます。
対して比較的長めにやり取りの時間を取って、その話の中で観客の中に共通認識を作る手法は時間こそかかるものの、ハマった時の爆発力は凄いですし、よりコントローラブルとも言える。
という様な内容でした。
そして、この相手に認識を刻み込むという事は、お笑いだけではなく音楽にも当てはまるというのが今回のテーマです。
因みに皆さんはクラシック音楽というジャンルに初めて触れた時に「長いなあ」と感じませんでしたか?
今巷に流れているポップミュージックと比べてクラシック音楽というジャンルはまあ長い。
交響曲は30分で短い方ですし、その他演奏会を開く時に小曲と呼ばれるような曲も基本は短くて5分、それより短い曲は組曲と呼ばれるセットで演奏される曲の一部か、単独ならもはやアンコール用の曲の様な扱いです。
こういった曲の長さが現在のポップスの様に短くなった経緯に関しては、娯楽として見た時の音楽の立ち位置の変化や、娯楽その物をとりまく社会の変化等色々ありますが、いずれにせよクラシックの作曲家達はそういった長い時間を使ってじっくりと音楽を表現しているんですね。
比較的初心者でも聞き取りやすい例としてこの曲を聴いてみてください。
この曲は私が高校時代に演奏した事もあるカリンニコフという作曲家の交響曲第一番です。
4楽章の冒頭が1楽章とほぼ同じで、一瞬同じ曲が始まったかと思うと一気に曲調が変わりますね。
その他にも4楽章はそれまでの楽章の特徴的なフレーズが変化した物が現れています。
特にクラシック音楽が隆盛を極めた時代は、宗教的な意味を持つフレーズは別として、キャッチーなメロディの曲があっても現代の様にすぐに共通認識になる程広がるのは難しかったでしょう。
で、あるならば、曲の中で観客に認識を定着させて、それを再登場させるという形式が必要になってくるのです。
因みに先程紹介した曲は比較的分かり易い構造でしたが、もっと潜在意識にきざみこむような手法もあるようです。
こちらを聴いてみてください。
ベートヴェンの交響曲第5番、通称「運命」クラシックをあまり知らない人でも知っているような作品です。
有名な「ッタタタターン」の主題が1楽章ではしつこく強調されますが、その後、聴いている人が普通は気付かないような伴奏の中にしれっとこの「タタターン」の音形が多用されてたりするんですよね。
観客としては「あ、これは聴いたことがある」とならなくても感覚として不思議と思いが伝わってくる様な、そんな効果があります。
クラシック音楽に関しては冒頭に述べたお笑いの中の認識論のうち、時間をかける方の要素が強いとも言えますが、いずれにせよ音楽に関しても人の認識を上手く使う曲が名曲たり得ているんだなという風に思っています。
こういった視点でお笑いでも音楽でも他の娯楽でもなんでも覗き込んでみると楽しい発見があるかもしれませんよ。
