以前の記事で怖い話とお笑いの共通点をお話しましたが、今回はまた別のジャンルでお笑いと音楽に共通項を見出したので、それについてお話したいと思います。 

 

 

 記事のキーワードは相手に認識を刷り込む為の戦略です。 

 

 まず最初に二つのお笑いの動画を見てもらいましょう。 

 

 

 

 いかがだったでしょうか、不思議な物で私自身この記事を書くまでこの二者を「お笑い」で一括りにして捉えていましたが、分析しようとまじまじと見ていると、確かに「笑う」という結果は同じにせよそこに至るまでのプロセスがかなり違う様に感じました。 

 

 まず注目して頂きたいのはネタの時間ですね。 

 

 全体を通してみても差がありますが、構成を区切ってみても中々違いがあります。 

 

 前者に関しては瞬発性が高いというか、「ゲッツ」で起こる笑いを一つのパッケージとしてみた時に独立して使えるコンパクトな(あくまで時間配分で見て)パッケージを複数並べている構図になっています。 

 

 対して後者のネタは事前にあった話の流れを受けて、そこから展開させていくために細かく区切ったパッケージ化は出来ません。 

 

 どうしてこのように構成が変わるかを考える上で大事な考え方に、見る人の認識を揃えるという観点があります。 

 

 「ゲッツ」の様なギャグ以外にも、さまぁ~ずの三村さんの「○○かよ」などの特徴的なフレーズの強みというのは「世間が既に知っている」という事です。 

 

 実際「ゲッツ」の意味がどうこうではなく、「この人はこのギャグをする」という外枠の認識は観客の中にある訳です。 

 

 そこの認識が揃っていれば、あとは観客の予想通りにギャグを使うか、それとも予想外のタイミングで使うかの工夫だけで笑いは起きます。 

 

 その結果どんなメリットがあるかと言うと一つ一つのパッケージを小さく出来るんですね。 

 

 後者の方は、そういった既に共通認識となったギャグという物を持たない分、認識を揃える為の前フリというか、伏線を貼る作業という物が必要になっていきます。 

 

 この方式はギャグの様な前提認識の共有が無い為、瞬発性に欠けると言えますが、その分コントローラブルであり、伏線の回収が上手く行けばより大きな笑いを呼び寄せられるというメリットがあります。 

 

 上記の様に二つの笑いの取り方に大別したものの、どちらの方式が良いとかそういう話ではなく、更に言うとどちらの境界線も曖昧な所があります。 

 

 このネタなんかが顕著な例ですね。 

 

 

 「肘神さま」一時は大きなムーブメントを起こしたギャグですが、単品で見ても面白さはあんまり無いと思うんですよね。 

 

 大元のネタを見てることで「田舎にある謎の信仰のお祭り」という認識が生まれ、かつ、このネタが全国ネットのお笑い番組で放送された為、その共通認識が一般化すると、単独で肘祭りのネタが流れても笑えてくるという状況が生まれたわけですね。 

 

 以上の様に、「相手に認識を刻む」という事がお笑いにおける大事な要素と言えるんですね。 

 

 そして、この認識を刻むという事が、音楽においても大事になってくるのですが、音楽編は次回説明していきたいと思います。 

 

 お楽しみに!