今回のテーマは、適度に力を抜いた方がパフォーマンスが上がるというお話です。 

  

 これは先日モデルナのワクチンで腕に発疹(?)が出る副反応が現れた時のお話です。 

 

 

 正直な話、元々私はマスクやうがい手洗い、換気の励行、会食や人混みを避けると言った対策はちゃんと行うものの、コロナもワクチンの副反応も割と遠い世界の出来事だと思ったので、モデルナアームという分かり易い副反応が出た時にそれなりにビビったんですよね(笑) 

  

 ただ、悩ましいというか行動に困ったのが、モデルナアームって見た目が派手なだけで、腕も上がるし、痛いわけでもないしで、あんまり「これは休まなきゃ」みたいな気分にならなかったんです。 

  

 結論として、過去の記事のも書いた様に朝昼晩の3コマ3団体の練習に参加したわけです。 

  

 とはいえやはりコントラバスという大型楽器は、運搬も演奏も軽い運動と言って差し支えないようなエネルギーを使います。 

  

 しかも演奏に関しては、私はかなり自己主張が強いので結構ガンガン動くのです。 

  

 なんとなく脳裏に「全力で弾いたらヤバいかも」という私のビビりな側面の声が聞こえてきたので(笑)その日一日は全力では弾かないという縛りで練習に臨んだのです。 

  

 最初の団体、その団体はチャイコフスキーの曲三曲で、本来はめちゃめちゃエネルギーを使うのですが、幸いな事にその回は主に細かい所の抜き出しが多かったので比較的無事でした。 

  

 とはいえ所々気合が入る所はあり、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」では発疹が出た左腕は動かさないものの、右手では全力で細かい音を刻むという部分があり、どうしたもんかと思いながら音量が下がらないように工夫しましたが、意外とここで色々考えた事で今まで手が痛くなっていた所の攻略法の糸口が見えました。 

 

 実はフレンチ弓を使い始めた頃から「力まずに遠くまで響く音」を標榜していたのですが、どうにも元気なうちはパワーに任せる癖があったのです。 

 

 しかし、十中八九取り越し苦労だと頭では分かっていても、死ぬかもしれないと思うと流石にそれでも全力でとはならないんですよね。 

 

 人間誰しも本当に必死になった時には眠っていたポテンシャルが発揮されるもので、今回は無理が出来ない条件の中での最適な力加減が見いだせたわけですね。 

 

 そういったパワー面での取っ掛かりを見つけた後の二団体目では、午前中とはまた違った感覚を見出しました。 

 

 午後の団体で演奏したサンサーンス交響曲第3番は、午前中の悲愴と違って今度は左手が普段追い付かない箇所が少しありました。 

 

 まあ、そちらも厳密に言うと左手だけではなく、右手の発音がかみ合わないという所に問題があるのですが、これに関しても全力で弾く癖が要因になっていたようです。 

 

 イメージとしては普段フルアクセルでカーブに突入して力業で曲がり切ろうとしている感じですね。 

 

 これも若くて体力に満ち溢れていた時は力でねじ伏せられていたのですが、流石に最近はそうでもなくなっていたのです(笑) 

 

 しかし、上記にあった微妙なビビりの心境で、全力で弾かなかったところ、かえって周りが見えるというか、冷静に演奏出来て指が回ったんですよね。 

 

 そして何よりも、必死になり過ぎて余計な力で押し付けるような弾き方をしなかった為か、響きはその時の方が良かったのです。 

 

 その時に「ああ、今まで無駄に力んでたんだなあ」という実感がしみじみと湧いてきました。 

 

 なんとなくパワーでもって思いっきり弾いた方が良いという感覚になってしまっていたところを、今回の全力で弾くことが出来ない状態での練習のおかげで払拭できた感じです。 

 

 結構楽器に限らず、気合を入れ過ぎて周りが見えなくなるという事は多く起こりがちだと思います。 

 

 何事も適度に、力が入り過ぎたと思ったら、緩めるイメージを持ちましょう。