さて、前回の記事では幸せの「質」という観点でお話をしましたが、今回は選択性という観点で考えていきたいと思います。
前回の記事においては、質の悪い幸せは刺激が強い物が多いという話をしました。
ジャンキーな食べ物は味が濃いし、コンビニではストロングのチューハイ等が簡単に酔えるのでコスパが良いとされます。
私は煙草を喫いませんがよく煙草を喫う人は、身体に悪いと分かっていても頻繁に煙草を喫うのです。
では、それら質の悪い幸せが絶対的な悪かと言うと…正直微妙な気もします。
先日の呑んだ時に感じた事ですが、お酒をたっぷり呑んだ後の〆のラーメンは正直言って幸せの塊です。
それがたとえカップラーメンでも、なんというか背徳の味って感じがします(笑)
多少なりアルコールの分解に必要なグルコースの接種や、塩分をとってミネラルのバランスを保つ等の効果に繋がるらしいという話もありますが、基本は身体に良くない行いです。
明らかに質の良し悪しで言えば悪いですし、一生知らないならその方が良い気もするタイプの刺激である事は間違いなさそうですが、時に心から欲してしまう様な事もあります。
私の場合は、この呑みの後のラーメンは大学時代に初めて経験したのですが、そうすると学生時代の思い出も付随するわけです。
ヤンチャな盛りにこういった誰にも迷惑をかけない(身体に)ワルい事をしておくのも人生の幅にはつながると思います。
こういった事を考えた時にふと頭によぎったのが今回のテーマである選択性なんですね。
例に挙げた「呑みと〆ラーメン」これは単独で見た時に悪かと言われると決してそんなことはないかと思います。
しかし、それしか楽しみがなくなってしまうとどうでしょう?
頻度というよりは、やはり他に選択肢を持っているかが大事です。
例えば食べ物の方向で考えるなら、ラーメンを食べまくるよりも、他の料理を色々と知った上で、「今日はこのラーメンを食べたい」と選んだ方がより味を楽しめる、という感覚がありませんか?
前回の記事にも書いた質の悪い幸せは刺激が強いものになりがち、というのは同じような刺激しかない為、慣れが生じて反応が鈍くなってしまうという側面があります。
慣れで鈍った反応をもう一度起こすために、どんどん強い刺激を求めてしまうんですね。
そして何より、「他にも選べる幸せの中でそれを選んだ」という自分の意志が、その選んだ幸せを輝くものと認識させるのです。
ずーっとラーメンの話で申し訳ないのですが、頻度が低ければたらふく呑んだ後の〆のラーメンは、カップ麺でも店のラーメンでも「おいしい」という事は変わらないのです。
しかし、高頻度でかつ他に好きな事や他に食べたいものが無い様な状態なら、どんどんもっとおいしいラーメンを追い求めてしまう…というのが私の経験談を含めた自論です。
「ラーメン道を極めて人に伝えていく」という方向性はありですが、それはそれでただラーメンを貪るというのとは違う目的が生まれているからありなんですね。
ちょっと今回の話はラーメンに偏り過ぎましたが、別に食べ物関連から選ばなくても良いのです。
呑みの後のラーメンをという背徳を味わうのか、呑みではなく友人との買い物や映画を見に行く等で、交流を深めれば、アルコールを挟まないのでその後はラーメンという選択肢にならないかもしれません。
遊びに行くのではなく、自分のゴール達成の為の勉強や練習に時間をくのもありでしょう。
とにかく、自分が出来る楽しい、又は為になる選択肢を大量に用意しておきましょう。
多くの選択肢を持てば持つほど、その中から選び取った事象は、自分自身にとっての価値が高まります。
せっかく幸せを感じるなら、質の良し悪し関わらず、より価値ある状態で堪能できるようにしましょう。
