今回は先日大学時代の先輩とオンラインで呑みながら話した時に少し話題になった、「幸せの質」についてのお話をしようと思います。

 

 ちょっとその時は結構べろべろになってしまっていたので、色々とあやふやな所もありますが(笑)ちょっと皆さんも生き方の思考実験に利用してみてください。

 

 幸せの不感症になってきている気がする

 

 この発言が今回の話のきっかけになりました。

 

 その先輩は、仕事も趣味もかなり精力的に活動されている方で、傍から見る分には日々を生き生きと謳歌しているのですが、ある時そういった考えが頭をよぎったのだそうです。

 

 なんとなくの印象としては、いつもエネルギッシュである分、そうでない人の感覚とのギャップを感じてしまったように思えました。

 

 私はどちらかというと普段から元気のある方ではないので(笑)なんとなく先輩が感じるギャップの反対側が分かる気もしますが、それはまた別の話として、幸せの質という考え方は深めた方が良い事だと思います。

 

 質の良い幸せ、悪い幸せみたいな事を聞いて、あなたはどういった物を想像しますか?

 

 多分ここは人によって着眼点が様々あると思うので、ちょっと一度考えてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 因みに私が幸せの質という単語で最初に思い浮かんだのは、何かを叩き、他者より優位に立つ事で得るタイプの幸せです。

 

 最初に悪い方を思いついたのです。

 

 いや、しっかりと考えるならそれが本当に幸せか、という所から詰めていかなくてはいけないのですが、まぁ酒が入った状態での思考なのでご容赦ください。

 

 他にも色々とありそうではあります。

 

 安酒をかっくらうとか、惰眠を貪るとか、ジャンキーな食べ物をたらふく食べるとか…

 

 だらだらとソシャゲやSNSで時間を潰すというのも含まれそうな気はしますね。

 

 悪い方を先に思いつくあたりだいぶ擦れてるなあと自分でも思ってしまいましたが(笑)

 

 では質の良い幸せってなんでしょうか?

 

 家族、友人、愛する人と穏やかな時を過ごすとか、絵画やクラシック音楽などの芸術を優雅に楽しむとか、高級な料理等を堪能するとか、あとは何か目的を達成するとか…そういった所でしょうか?

 

 意外と質の高いっていうと難しい気もしますね。

 

 あえて絵画やクラシック音楽みたいな挙げ方をしましたが、ではジャズやポップス、ロックや前衛芸術は質が低いのか?という事にもなりますしね。

 

 ただ、先輩の話に立ち戻ると、刺激の強弱は多少関係はしてそうな気はします。

 

 悪い質の幸せの刺激は強い、または強くなる構造になっているように思えます。

 

 質の悪い幸せは、刺激以外に大きな喜びを感じる要素が無いのでどんどんエスカレートしていくという感じですね。

 

 因みに、私が最初に思い浮かべた「何かを叩き、他者より優位に立つ事で得るタイプの幸せ」というのは、自分が上がっている訳ではないため、一瞬の満足感の後に結局改善されない現状が再び攻撃性を生み出す構図なので、これも一種の刺激を求めるだけの行為と言えます。

 

 質の高く刺激の強い幸せは、例えば仕事で大きなプロジェクトを達成したり、趣味の分野なら大舞台で成功を収めたり、という事がありますが、そういった刺激はほいほい入ってくるものでもありません。

 

 そう考えると、質が悪く強い刺激に囲まれて感覚が鈍ってしまい、刺激の弱い幸せに気付けなくなってしまう事は大いにあり得そうな気がします。

 

 ただ、冒頭の先輩が感じた「幸せの不感症」に関しては、仕事も趣味も精力的に行い、結果を得ているが故の強い刺激への慣れなようにも思えます。

 

 イケイケのリア充も考え物なのかもしれません(笑)

 

 しかし、こういった「今自分が向き合っている幸せの質と刺激はどういったものか」という考え方は大事かなと思います。

 

 手軽で強い刺激を求めているなと感じた時は、それを避けて休む所から始めてリセットしてみましょう。

 

 日頃の小さな幸せから大切に。